
このエントリーでは、現実の意思決定とディベートの違いを説明します。
ディベートを通じて意思決定スキルを鍛えられることに議論の余地はありませんが、それでもディベートはあくまでトレーニングです。現実の意思決定との違いがどこにあるのかを理解しておかないと、本番で足元を掬われることになりかねません。ここを考えておきましょう。
事前準備として、以下のエントリーを読んでおいてください(「ロジカルシンキング」カテゴリーより)。
なお、このシリーズでは一貫してAIディベートの話をしていますが、このエントリーの内容はAIディベートに限らず、ディベート全般に当てはまります。そのため、基本的には「ディベート」を使い、AIディベートに特有の内容だけ「AIディベート」を使います。
toc
現実の意思決定とディベートの類似点と違い
まず、「論題(論点)に対して、主張と根拠を用意する」という点において、ディベートは意思決定を模したものだと言えます。以下のスライドを見てください。
ディベートにおける「論題」は、上のスライドにおける「論点」と同じ意味です。だとすると、両者はまったく同じ構造をしていますよね。
つまり、ディベートは合理的な意思決定をできるようになるためのトレーニングです。
AIディベートの革新的な意義は、これをひとりで行えるようになったことです。これまで、ディベートが意味のあるトレーニングになるには、合理性・意思決定を理解した指導者と、対戦相手が必要でした。これらがすべて不要になったので、あなたはひとりで合理的になるためのトレーニングを繰り返せます1。やらない理由はないでしょう。
根本的な違い
しかし、たとえディベートが意思決定を模しているとしても、ディベートはあくまでトレーニングです。以下の表を見てください。
| 現実の意思決定 | ディベート | |
|---|---|---|
| 根本的な違い | 本番である | トレーニングである |
| ゴール | 意思決定が正しいこと | いいトレーニングになること |
| 時間制限 | 数分で終わるものから無制限のものまである | 基本的に、短時間で終わることが好ましい |
このように、トレーニングである以上、ゴールは「いいトレーニングになること」にならざるを得ません。
AIディベートの時間制約
となると、あまり時間をかけられません。実際の損得がかかった意思決定ならじっくり考える・待つことも正当化されますが、トレーニングならさっさと終わらせて効果を実感したいですよね。
AIディベートでは、1試合(ひとつの意思決定)が最長でも1時間以内に終わることが絶対条件でしょう。これ以上に時間的な負荷が大きいと、ほとんどの人にとってAIディベートを継続的に繰り返すことが現実的ではなくなります。
AIディベートを通じて鍛えられる力(文章力や思考力)は、どれも繰り返さないことには身につきません。AIディベートは何度も繰り返さないと、決して「いいトレーニング」にならない、ということです。
どれくらいの繰り返しが必要かは今後の検証が必要ですが、「日本の教育しか受けていない人は、最低でも100回はやったほうがいい」というのが私の見立てです(日本では、この手のトレーニングをほとんど受けない)。
100回繰り返すことを視野に入れると、「1回あたり1時間」が限度でしょう。理想的には30〜45分だと思いますが、ここではとりあえず「フィードバックまで含めた1回あたり1時間」を目安とさせてください。
AIディベートがいいトレーニングになるためには、1回が1時間以内に終わることが絶対条件である(とする)
ちなみに、普通のディベートでは、もう少し長い時間をかけることもあります(特に競技ディベート)。それでも、「ディベートはあくまでゲーム・トレーニングであり、そこまで時間をかけられない」という制約は変わりません。
この制約があるため、ディベートでは意思決定を簡略化しています。以下、先ほどの「合理的な意思決定の3要素」の扱いが、ディベートと現実の意思決定でどのように違うのかを見ていきましょう。
現実の意思決定とディベートの違い①:論点(論題)レベル
まず、論点(ディベートでは「論題」)の違いを確認しましょう。以下の表にまとめました。
| 現実の意思決定 | ディベート | |
|---|---|---|
| 論点 | 探すもの・選ぶもの | 与えられるもの |
| 形式 | あらゆる疑問文 | イエス・ノー疑問文 |
| 白黒が | 中長期的にはつくと期待される | 絶対につかない |
| 重要度 | 最重要(8割方ここで決まる) | 低い(議論できるレベルならなんでもいい) |
簡単にまとめると、現実の意思決定における論点は最重要項目である一方、ディベートの論題はどうでもいいことです。
意思決定における論点
意思決定における論点というのは、議論の余地なく最重要ポイントです。
私たちは無数にある問いの中から、リソースを投入して答えを出そうとする論点を決めます。このとき、以下のことを慎重に検討しなければ、投入するリソースは無駄になるでしょう。
- 価値が生まれるか?
- 答えた結果として価値が生まれる論点を選ぶ必要がある
- 答えが出せるか?
- どんな論点であれ、答えが出せなければ価値が生まれない
- 間に合うか?
- 答えが出せても、他者より遅ければ意味がない論点も多い
ここを掘り下げると終わらなくなるので、このエントリーではこれ以上の説明はしません。とにかく、「現実の意思決定では、論点を慎重に選ぶ必要がある」というポイントだけ押さえてください。
現実の意思決定では、何を論点にするかがもっとも重要である
ディベートにおける論題
一方、ディベートでは両サイド(肯定・否定)に勝ち目がないとゲームとして成立しないので、「絶対に白黒のつかない問い」が論題として選ばれます。つまり、どれも究極的には「どっちもどっち」、「価値観による」といった結論しか出ない問いであるということです。
そんなものを真剣に選ぶ理由はないので、とにかくさっさと論題を決めましょう。重要なのは「その論題で、自分はロジックを組めそうか?」ということだけです。その問いに対する答えがイエスなら、ディベートを開始しましょう。
同じ理由で、AIディベートでは、どの論題にするかを悩む必要はありません。今日選ばない論題は、明日の論題にすればいいだけです。
ちなみに、過去に扱ったことのある論題を選んでも構いません。特に最初のうちは、毎日同じ論題でもいいくらいです(そのほうが「文章として完成させる」ことに集中できる)。私も、この一連のエントリーを書くにあたって「救急車を有料化すべきか?」という論題を3回くらい扱いましたが、毎回なにかしらの学びはありました2。
ディベートにおける論題は、論じられるレベルのものならなんでもいい
現実の意思決定とディベートの違い②:主張レベル
次に、主張の違いを確認しましょう。以下の表にまとめました。
| 現実の意思決定 | ディベート | |
|---|---|---|
| 主張 | 打ち出すもの | サイド(肯定か否定)で決まるもの |
| 可変性 | ある | ない(固定) |
| 責任 | 負う | 負わない |
| 間違っていたら | 損をする、低評価を受ける、など | そもそも「間違う」ということがない |
ここも似たような話ですが、現実の意思決定において主張は論点に次いで重要なことで、ディベートでは主張に関してできることは何もありません。
現実の意思決定における主張
現実の意思決定における主張というのは、事実上、あなたの決断のことです(あなたに意思決定権がある場合)。あなたはその決断に基づいて行動・発表をするので、その先には損得・評価が待っています。
損得や評価が重要ではないという人はいないでしょう。つまり、現実の意思決定において、何を主張するかは極めて重要です。さすがに論点ほどではないですが(論点は「何が主張できるか」を決めてしまう)、論点に次いで重要なものだと言えます。
現実の意思決定では主張に損得や評価がついてくるので、何を主張するかは重要
また、現実では、新しく見つかった情報に応じて主張を変えることや、主張しない(様子見する)ことも問題ありません。誰かがあなたに主張を強要しているわけではないですからね。ここもディベートとの大きな違いです。
ディベートにおける主張
一方で、ディベートにおける主張はサイドによって固定されるものです。当然、あなたの本当の意見とは無関係であり、主張の責任を負う必要もありません。スポーツにたとえると「どちらのゴールに攻めるか」くらいの意味合いしかないので、特に何かを意識する必要はないでしょう。
ディベートでは、主張に関してできることは何もない
唯一ポイントがあるとすれば、「立論の冒頭で主張を述べる」ことでしょうか。これはフォーマルな論説文の基本マナーなので、ディベートを通じて型として身につけてください。
現実の意思決定とディベートの違い③:根拠レベル
最後に、根拠の違いを確認しましょう。以下の表にまとめました。
| 現実の意思決定 | AIディベート | |
|---|---|---|
| 根拠の中心 | データ(であるべき) | 理屈と経験談(にならざるを得ない) |
| リサーチ | しないことはまずない | しない(ことにする) |
| 最終的に真実・勝者を決めるもの | データ | 価値観と伝え方(理屈は双方が用意できる) |
ここは特に注意が必要なポイントです。AIディベートは根拠を構築するトレーニングであるにもかかわらず、時間制約があるため、現実の意思決定で重要な「データを集める」という行為ができません。
どういうことでしょうか?
現実の意思決定における根拠
まず、現実の意思決定における根拠の中心は、データ(であるべき)です。
こうなる理由は、データ(観察できること)だけが、万人と正しさを共有できるからです。よって、データを根拠にしないと主張は正しくなりません。これは合理性(近代科学)の大前提です。詳しい説明は長くなるので、以下のエントリーを参考にしてください。
もちろん、実際の意思決定ではデータだけでなく、「誰が言っているか」、「誰の損得に影響があるか」といったことも考慮されます。ただ、それらはどれも合理性とは無関係なうえに、トレーニングもしようがありません。一旦、このエントリーでは「現実の意思決定ではデータを根拠にする」とさせてください。
現実の意思決定では、データを根拠にして主張を支える
よって、現実の意思決定ではリサーチ(データを集める行為)が必須です。それをしなければ、まともな根拠が構築できません。
リサーチに関しては、以下のエントリーで解説しています。時間があるときに読んでみてください。
AIディベートにおける根拠
問題は、リサーチには時間がかかることです。実際、研究の領域では数年かけてデータを集めることすらありますからね。少なくとも、1時間程度のリサーチでは概要がわかる程度で、強い根拠になるようなデータは集められません。
これは先ほどの「AIディベートがいいトレーニングになるためには、1回が1時間以内に終わる必要がある」という大原則と完全にバッティングします。結論として、「AIディベートではリサーチをしない」と割り切るしかないでしょう。
ちなみに、こうするかは好みの世界で、競技ディベートの世界では事前に論題が発表され、当日までにリサーチする時間が与えられることもあります。
ただ、「ひとりでAIディベートをする」という文脈では、リサーチは捨てて、文章力・思考力のトレーニングに注力したほうが効率がいいというのが私の意見です。当サイトでは、「AIディベートではリサーチをしない」ということにさせてください。
効率的に繰り返すために、AIディベートではリサーチをしない(ということにする)
この前提のもとで根拠を構築すると、根拠は以下の要素で構成されます。
- 理屈(根拠の材料・柱):なぜそうだと言えるのか
- 例:「制服を義務化することで、学習に集中できる環境になる」
- 価値観:私たちは何を大事にすべきか
- 例:「このケースでは自由より平等を重視すべきだ」、「コスト効率より命・健康が優先されるべき」
- 経験談(伝聞を含む):実際に体験したこと、聞いたこと(n数の少ないデータ)
- 例:「実際、私は私服を選ぶのに時間がかかってしまう」
意地悪な言い方をすると、このような根拠は「それっぽくは聞こえても、薄っぺらい」ものになります。理屈を下支えしている価値観と経験談は、以下のように、現実の意思決定では妥当な根拠として機能しない可能性があります。
- 価値観:データほど、万人における正しさを期待できない
- 現実の意思決定では「私はその価値観に共感できない」と言われたらおしまい
- 経験談:n数が少なすぎる
- 現実の意思決定では「n=1でしょ」と批判されておしまい
- AIディベートにおける経験談は、あくまでも「理屈を具体的にイメージさせるための表現上の工夫」と考えておくのが無難
このあたりは、ディベートではなく合理性(ロジカルシンキングや統計)を学ばないとわからないことです。ここではとにかく、「(リサーチをしない)ディベートで妥当な根拠は、現実の意思決定ではそれほど妥当ではない」ということだけ押さえてください。
それでもディベートをする意義
こんなことを言うと、「じゃあ、ディベートを頑張る意味ってなくない?」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。
「データに基づいて意思決定する」というのはあくまで理想論(最終形)であって、その前に「根拠から主張の是非を判断する」、「誰が言っているかではなく、中身を検討する」といった合理的な意思決定の基本姿勢を学ぶ必要があります。ディベートは、そのための最高のトレーニングです。
実際、現実の私たちの意思決定は理想とはほど遠いレベルであり、基本姿勢すら達成できていません。以下を見てください。
- そもそも「根拠から主張の是非を判断する」ということを知らない
- なんとなく、雰囲気で正しさを決める(空気主義)
- 誰が言っているかだけで正しさを決める(権威主義)
- まともな議論ができない
- 批判・反論を人格攻撃だと捉えて、すぐに激昂してしまう
- 「批判」と「誹謗中傷」が同義語になっている
- 自分が正しいと思い込んでいて、議論の余地がない
- 批判・反論を人格攻撃だと捉えて、すぐに激昂してしまう
私の経験上、平均的な日本人の意思決定はこのレベルだと思います。
このレベルから脱却するには、ディベートはとても有効です。というより、「教育カリキュラムにディベートをしっかり組み込んでいないから、日本人の意思決定・議論は低いレベルに留まっている」というのが私の意見です。
結局、データに基づいた理想的な意思決定ができるようになるためにこそ、ディベートは必須です。現実の意思決定にそのまま適用できるほど万能ではないことは事実ですが、それはディベートをしない理由にはなりません。
なぜ日本ではディベートのイメージが良くないのか
一般に日本でディベートのイメージが良くないことも、同じ構図で説明できるでしょう。「合理的な意思決定」とはどういうものかをわかっていない(習っていない)から、それを使いこなす人も、そのためのトレーニングも怖いのです。
合理的に意思決定したければ、データと論理を重視するしかありません。それ以外に、前提や価値観が異なる他者と正しさを揃える方法は見つかっていないのです。
しかし、そもそも日本では前提や価値観が揃いやすいこともあり(本当にそうなのかは怪しいところもありますが)、空気主義や権威主義による意思決定が当たり前になっています。歴史的・文化的に、合理的な意思決定と相性が悪いのでしょう。実際、教育カリキュラムには「意思決定」を真正面から扱う科目が存在しません。
その結果として、合理的な意思決定のトレーニングでしかないディベートが、「相手を言い負かす・論破する技術」であったり、「詭弁・屁理屈をこねくり回す技法」として捉えられてしまっているきらいがあります。
端的に言って、これらはすべて、ディベートに取り組んだことがない人の誤解です。相手にする必要はないので、安心してディベートに取り組んでください。それでも気になるなら、実際にAIディベートを繰り返してみてください。ディベートがどういうものか、実感として理解できるはずです。
以上、現実の意思決定とディベートの違いについて説明しました。次回は、ここまで考えた「AIディベートの進め方」を効率的に実践するための方法を紹介します。
なお、AIディベート関連のエントリーは以下にまとめています。





