このエントリーでは、問題を認識するルートの全体像を学びましょう。
問題を認識することは、「考える」という行為の正真正銘、最初のステップです。「考える」という行為は、どのように始まるのでしょう?
では始めましょう。
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問題を認識する方法の全体像
早速、問題を認識するルートの全体像を眺めてください。以下のスライドにまとめてあります。
このように、問題を認識するルートは大きく2つに分かれます。
- 問題を発見する(問題を自分で認識する)
- 顧客から問題を提示される
あなたが問題を認識するとしたら、そのきっかけは自分で問題を見つけるか、誰かから問題を提示されるかのどちらかだ、というだけの話です。原理的に、これ以外はありえませんよね。
では、順に見ていきましょう。
問題を認識するルート①:問題を発見する
問題を認識する1つめのルートは、問題を発見することです。なんらかのきっかけに伴い、自分の中に問いが生まれるわけですね。
これのもっとも分かりやすい例は、自分の子供時代を思い出すことでしょう。子供にとっては、世の中のすべてが疑問文だと言っても過言ではありません。ものの名前すら分かりませんからね。あなたも、周りの人に質問し続けていたはずです。
問題を発見することは「問題発見」という名詞形も用意されており、ここだけで1つのスキルジャンルを形成しています。
その難しさや重要性において、問題発見は完全に別格のスキルです。便宜上、ロジカルシンキングの一部として問題発見を紹介していますが、ここだけは別物だと考えるべきです。
このあたりのことは私もまだ分かっていないので、一旦ここまでとさせてください。先に進みましょう。
問題を認識するルート②:顧客から問題を提示される
問題を認識する2つめのルートは、顧客から問題を提示されることです。
とりあえず具体例を見てください。以下のような状況が、顧客から提示された問題を認識するということです。
- テスト
- 小論文やレポート
- 上司からの「Xを考えておいて」という指示
なぜこのような話になるのか、順に説明します。
顧客とは
まず、顧客とは、あなたと利害関係のある他者のことです。普通とは違う意味で使っているので注意してください。
顧客:あなたと利害関係のある他者
ここでの利害関係とは、「その人の言うことを聞けば、あなたが欲しいモノを貰える関係」です。ストレートに言うと、お金か点数をやりとりする関係ですね。社会人ならお金、学生なら点数(成績・単位なども含む)です。厳密にはほかにもありますが、とりあえずお金と点数を押さえておけば間違いありません。
つまり、あなたにとっての顧客とは、以下のような人たちです。
- 社会人:お客様(狭義の顧客)、上司
- 学生:教授、先生
この人たちが、あなたに「この問題を考えてほしい」というリクエストをしてきますよね。「顧客から問題を提示される」とは、このような問題の認識ルートのことです。先ほど紹介した例は、すべてこのルートであることを確認してください。
逆に言うと、利害関係のない他者から示された問題を認識するケースは、こちらのルートには含めません。たとえば、書籍に書いてある問題を認識するのは、普通の問題発見です。重要なのは問題を提示しているのがあなたの顧客かどうか(=その人と利害関係があるか)なので、そこに注意してください。
顧客の問題を考えるときの論点設定
原則として、顧客の問題を考える場合、あなたに論点設定の権限はありません。あなたは、顧客が決めた論点を考えるのと引き換えに、あなたが欲しいもの(お金か点数)を手に入れるのです。いやらしい言い方になっていますが、綺麗事を言っていても始まりませんのでご容赦ください。
顧客から問題を提示されるルートでは、あなたに論点設定の権限はない
結果として、このルートで問題を認識した場合、あなたが問題を評価・修正することは稀です。指定された問題を考えれば欲しいものが貰えるわけですから、いちいちその問題が考えるに値するか、評価してる場合じゃありませんよね。
誤解しないでほしいのですが、私は「顧客から問題が提示されるルートでは、問題を評価・修正するな」と言っているわけではありません。単に、それらのプロセスはカットされることが多い、という実態を説明しているだけです。
たとえば、あなたはテストを受けている最中に「はたして、この問題を考えることに意味はあるのだろうか?」と考えたことがありますか? また、それを考えることは得策だと思いますか?
普通、答えは両方ともノーのはずです。あなたが欲しいのは点数で、点数を貰うために必要なのは問題に答えることですよね。問題そのものの価値を問いかけても、あなたが欲しいものは手に入りません。
顧客から問題を提示されるルートでは、問題そのものの価値が問われることは稀
問題を評価しないことのリスク
学生や新社会人のうちは、「与えられた問題の価値を問わず、とにかく与えられた問題に答える」というアプローチに大きな問題はありません。
というより、現実的にこのアプローチしか無理です。学生は言わずもがなですし(修士や博士は別)、社会人も、経営陣以外がゼロベースの論点設定をすることは許されません。部署や役職によって「論点にしていい範囲」が決まっており、それは上司から(所属や役職という形で)示されるのが普通です。
ところが、あるレベルを超えると、このアプローチはうまくいかなくなります。これには主に以下の2つの理由があります。
- 立場が上になれば、あなたが問題発見するしかない
- このアプローチが機能するためには「与えられた問題は正しい」という前提が成立する必要があるが、この前提は実社会では成立しない
1つめの理由はシンプルです。問題を与えてもらうためには、問題をくれる誰かが必要ですよね。いつかは、そんな人がいなくなります。あなたは問題を発見する側に回って、誰かに問題を与えなければいけません。社会の最前線で「考える」ことを仕事にしたいなら、問題が与えられるのを待っていてはダメなのです。
決定的なのは2つめの理由です。実社会では、与えられた問題に考える価値があるとは限りません。
与えられた問題を一生懸命に考えることに意義があるのは、その問題を考える価値がある場合だけです。たとえば、考えても間違いなく答えが出ないような問題は、考えるべきではありません1。
そして、顧客も人間です。神様ではありません。顧客が間違った問題をあなたに与える可能性は、もちろんありますよね。それにも関わらず「私は与えられた問題を疑わず、頑張って解きます」という心構えでは、もうその時点で完全に間違っているわけです。
どうすべきか
では、どうしたらいいのでしょう?
ここで一直線に「もう与えられた問題を考えている場合じゃない。これからは問題発見だ」と言うことは簡単ですし、実際、そのような言説は巷に溢れかえっています。これからもその傾向は強まるでしょう。この言説は耳触りがいいですからね。
ただ、個人的には、このアドバイスは実現可能性が低いと感じています。
だって、お金、必要ですよね(剛速球)。
ほとんどの人は利害関係の中で考えることになる以上、自分に論点設定の権利を持ってくることはできません。問題発見したところで、その問題が論点になることはないのです。
となると、大上段から構えて「私が問題発見しなきゃ」と考えても、顧客との関係がこじれるだけでしょう。再びストレートな言い方で恐縮ですが、顧客との関係は、あなたにとってお金を意味します。ないがしろにしていいものではありません。
そういうわけで、以下のようなアクションを取るほうが現実的でしょう。
- 論点に関するコミュニケーションを妥協しない
- 顧客が「考えろ」と言っている問題は何なのか、齟齬のないレベルで理解できるまでコミュニケーションをする
- 理想的には、顧客と一緒に問題を評価・修正したい
- ただし、上手にコミュニケーションする必要はあるし、適当なところで折れることも大事
- 顧客が「考えろ」と言っている問題は何なのか、齟齬のないレベルで理解できるまでコミュニケーションをする
- 必ず、与えられた問題を評価する
- その問題が有無を言わさず論点になるとしても、自分の中で問題の評価は必ず行う
- 何度も(あなたから見て)考える価値のない問題を論点にさせられたら、転職や異動を検討してもよいかも
- あなたの評価が正しいなら、その会社/部署は早晩マズいことになるはず(意味のないことにリソースを使っているので)
このような行動を通じて、お金を稼ぎつつ、組織の中でサバイブしつつ、自分の論点設定力・問題発見力をじっくり高めていくのが王道なのかなと思います。
ざっくり言うと、「自分で問題を発見するより、問題を発見できる上司・経営陣を発見する」といったところですね。ドロドロした話になっていますが、実際このあたりの話はドロッドロですので(例:タブーになっており、話題にできない問題がある)、働いている人には分かってもらえると思います。
もちろん、論点設定をする権限を持っている人は、問答無用で問題発見力を高めてください。こちらが本質的であることに、議論の余地はありません。
以上、問題を認識する2つのルートについて説明しました。では次回は、本丸の問題発見について考えて……みたいのですが、このトピックは少々時間がかかりそうなので、しばらくお待ちください。論点設定の次のプロセスである「問題を評価する」に関するエントリーは、以下になります。
また、ロジカルシンキング関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。
Footnotes
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ただし、問題を考える前に「答えが出るか」を正しく判断するのは難しい(というより、不可能)です。答えが出ない問題を考えても意味はありませんが、答えが出せそうにない問題にチャレンジしないと新たな価値は生み出せません。ここに論点設定の難しさがあります。 ↩