このエントリーでは、妥当な根拠の3つの条件を説明します。これが「主張が正しいか」を判断するうえでのもっとも基本的なコンセプトなので、しっかり押さえてください。
なお、このエントリーはロジカルシンキングの基礎知識(最低でも、主張と根拠の関係を理解していること)を前提として書かれています。途中で分からなくなった場合は、以下のリンクを参考にして、基礎から学習してください。
では始めましょう。
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妥当な根拠の全体像
最初に結論を見てください。以下のスライドにまとめました。
このように、根拠が妥当であるためには、以下の3つの条件を満たしている必要があります。
- 客観的である:観察できることに基づいている
- 普遍的である:偶然の偏りの影響を受けていない
- 網羅的である:考えるべきことを過不足なく考えている
これから順に見ていきましょう。
なお、このエントリーの目的は全体像を掴むことなので、それぞれの条件の詳しい説明まではしません。詳しい説明は今後のエントリーで行うので、分からないところがあっても心配しないでください。
条件①:根拠の客観性
第1の条件は、根拠の客観性です。これは要するに、観察できることを根拠にするということです。
観察できることは他者と直接的に共有できるため、根拠として強固です。逆に、観察できないことは他者と直接的に共有できないため、根拠として脆弱であり、批判の的になります。
例を見てみましょう。
X社とY社、どちらにポスターのデザインを発注するべきだろうか?
X社にするべきだよ。X社のデザインが優れていると私は思うな。
「X社のデザインが優れている」というのは君の主観的な意見だろ。ほかの人は、Y社が優れていると言うかもしれない。
あるデザインが「優れている」ことは観察できません。「優れている」というのは価値判断であり、それを見ることはできませんよね。そこをクマに批判されてしまいました。客観的な根拠に変えてみましょう。
X社とY社、どちらにポスターのデザインを発注するべきだろうか?
X社にするべきだよ。私の周りの5人にアンケートした結果、3人がX社のデザインのほうが好きだと答えたよ。
君の言うとおり、X社にするよ。
先ほどと違い、「5人にアンケートした結果、3人がX社のデザインのほうが好きだと答えた」ことは観察できます。アンケート用紙を見ればいいですよね。
このように、根拠を客観的にすることで妥当性が上がります。2つの違いが「観察できるか」にある点を確認してください。
条件②:根拠の普遍性
第2の条件は、根拠の普遍性です。これは、観察したことは、偶然そうなったわけではないことを担保することです。
客観的なこと(=観察したこと)であればどんな主張でも支えられるかというと、そんなことはありません。たまたまそうなっただけかもしれないからです。実際に、クマに先ほどのロジックを切り崩してもらいましょう。
X社とY社、どちらにポスターのデザインを発注するべきだろうか?
X社にするべきだよ。私の周りの5人にアンケートした結果、3人がX社のデザインのほうが好きだと答えたよ。
それだと、1人が意見を変えるだけで結論が変わるじゃないか。たまたまそうなっただけじゃないの?
先ほどはうまくいったロジックでしたが、今度はクマに普遍性の欠如(=偶然の影響を受けている可能性)を批判されてしまいました。たしかに、1票だけ多く獲得したのでは説得力に欠けますよね。
では、どうしたら根拠の普遍性を高められるのでしょう? 詳しくは今後のエントリーで説明しますが、てっとり早いのはデータの数(観察する数)を増やすことです。実際に、パンダにもっと多くの人にアンケートしてもらいましょう。
X社とY社、どちらにポスターのデザインを発注するべきだろうか?
X社にするべきだよ。私の周りの1000人にアンケートした結果、600人がX社のデザインのほうが好きだと答えたよ。
なるほど。X社にするよ。
X社の支持率は前と変わらず60%ですが、今度は1人が意見が変えた程度では結果はビクともしません。データの数を増やすことで、根拠の普遍性を高めることができました。
なお、厳密には、データの数を増やすだけでは不十分で、そのデータが母集団の姿を正しく反映している必要があります。たとえば、ポスターが全国民に見られるものであれば、データ内の男女比や年齢構成は、日本国民全体のそれと同じであるべきです。
気づいた人もいるかもしれませんが、根拠の普遍性とは統計のことです。根拠の普遍性を徹底的に学びたい場合は、ロジカルシンキングではなく統計を学ぶ必要があります。
どこまで普遍性を追求するか
なお、あらゆる状況で、根拠の普遍性が必要なわけではありません。普遍的な根拠が妥当なことは間違いありませんが、現実問題として普遍性を追求できないことが多々あるのです。たとえば、上の例では1000人にアンケートしたことにしましたが、現実で1000人にアンケートできることなど稀です。そんな労力もお金もかけられないことがほとんどなのです。
実態としては、論点の大きさ(関わる人の数や重大性)、データの利用可能性、根拠の構築に使えるリソース(労力と予算)、緊急性(今すぐ答えを出して行動する必要があるか)などを考慮して、どこまで普遍性を追求するかを調整します。
同じことが、批判するときにもあてはまります。普遍性に関して少し勉強すれば、「データはあるの?」「そのデータは有意性があるの?」、「エビデンスは?」といった批判をすることは簡単です(これらの批判の意味は今後のエントリーで解説)。
しかし、本当にそこまで厳密な根拠が必要なのか・用意できるのかを考慮せずにこういった批判を繰り返すのは、ただの議論クラッシャーでしかありません。頭でっかちにならないよう、注意してくださいね。
条件③:根拠の網羅性
第3の条件は、根拠の網羅性です。これは、考えるべきことを過不足なく考えているということです。
例を見たほうが分かりやすいでしょう。先ほどのロジックを、クマに網羅性の観点から切り崩してもらいます。
X社とY社、どちらにポスターのデザインを発注するべきだろうか?
X社にするべきだよ。私の周りの1000人にアンケートした結果、600人がX社のデザインのほうが好きだと答えたよ。
なるほど、X社のデザインが優れていることは間違いないだろう。しかし、どちらの会社にデザインを発注するかは、デザインの質だけでなく、価格との兼ね合いで決める必要があるんだ。
パンダは、多数の事実を観察することによって「X社のデザインが優れている」という根拠を用意しました。この根拠は客観性と普遍性を兼ね備えているため、あらゆる批判に耐え抜けます1。
問題は、「X社のデザインが優れている」という一本足打法では、「X社にデザインを発注するべきだ」という主張を支えきれないことです。
クマの指摘するとおり、最低でも価格という視点での検討が必要でしょう。たとえば、X社の価格がY社の5倍なら、とてもX社に発注する気にはならないはずです。デザインの支持率は6:4であり、5倍の価格差を正当化できるほどではありません。
このように、ある論点を考えるときに、根拠として検討すべきことが1つであるとは限りません。その場合には、検討したことに抜け漏れがあると、そこを批判されてしまうわけです。反対に、検討する必要がないことを論じてしまえば、それはノイズになります。
根拠の網羅性とは、この「根拠として検討すべきこと」を過不足がない状態にすることです。
実際に、網羅性のある根拠をパンダに作ってもらいましょう。
X社とY社、どちらにポスターのデザインを発注するべきだろうか?
X社にするべきだよ。
2社を「デザインの質」と「価格」の2点で比較してみたんだ。総合的にコストパフォーマンスのいい会社に発注するべきだからね。
まず、デザインの質はX社が上だと言える。私の周りの1000人にアンケートした結果、600人がX社のデザインのほうが好きだと答えたからだ。
次に価格だけど、これは両社ともに100万円で違いはない。値引きの余地もなさそうだ。
結論として、コストパフォーマンスに優れているX社を選ぶべきだ。
Good Job!
このように、根拠の網羅性を高めることでクマの批判をかわしきることができました。
網羅性を決めるもの
なお、この例では分かりやすさのため「デザインの質」と「価格」の2つで「網羅的である」としましたが、厳密にはこれで網羅的なのかは分かりません。パッと思いつくだけでも、以下のような視点を追加できます。
- 納品までのスピード
- 細かい修正に対応してくれるか/修正に追加料金がかかるか
- デザイン会社としてのこれまでの実績
- 自社との取引履歴
逆に、価格は度外視してとにかくデザインの質を追求したいケースなら、価格についての情報はノイズになることもあるでしょう。
このように、何が「網羅的である」のかは主観的に決まることです。杓子定規にやろうとしてもうまくいかないので注意してください。
以上、妥当な根拠の3つのポイントを説明しました。ロジックを作るときには、構築した根拠をこの3つの視点でチェックしてください。ちょっとやそっとの批判ではビクともしない根拠が作れるようになりますよ。
次回は、根拠の妥当性の1つめの条件である、客観性をさらに掘り下げていきます。
また、ロジカルシンキング関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。
Footnotes
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厳密には統計的な批判(サンプルの妥当性の検証)が可能ですが、今回はそこは見逃すことにします。 ↩