このエントリーでは、認知的不協和について説明します。
認知的不協和とは、私たちが起こす認知の歪みの原因になっている認知バイアスの一種です。認知的不協和とはどのような現象で、対策として何ができるかを考えましょう。
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認知的不協和とは
認知的不協和(cognitive dissonance)とは、人間が矛盾する認知・行動を抱えたときに感じる心理的ストレスのことです。ここでの「心理的ストレス」とは、不快感・不安などをひっくるめたものだと考えてください。
認知的不協和:人間が矛盾する認知・行動を抱えたときに感じる心理的ストレス
そして、このストレスを解消するために、人間は自分の認知を歪めることがあります。認知的不協和の本質的な問題は、この「認知の歪み」にあるので、こちらは「広義の認知的不協和」としておきましょう。
認知的不協和(広義):人間が矛盾する認知・行動を抱えたときに起こる認知の歪み
認知的不協和に関する理論は、アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱されました。
認知的不協和の例①:すっぱいブドウ
具体例を見ていきましょう。まずは、代表例である『すっぱいブドウ』からです。
知ってのとおり、『すっぱいブドウ』とは、お腹が空いたキツネが高いところに実ったブドウを食べようとするも届かず、「あのブドウはすっぱくてまずいに違いない」と言って立ち去る物語です。
キツネの認知(以下、「認知」には行動を含む)を分析しましょう1。以下のとおりです。
認知A | 認知B |
---|---|
お腹が空いていて、ブドウを食べたい。 | ブドウに届かないので、食べられない。 |
このとき、認知AとBには対立があります。このような状況に置かれると、人間(この場合はキツネですが)はストレスを感じます。このストレスが「認知的不協和」です。ここまでの状況を、以下に図解しました。
なお、厳密には認知AとBは両立するし、それが現実です。ただ、人間はそのような現実をスッキリ受け止められるようにはできていないということなのです。
そこで、一方の認知を歪めることで、人間は認知的不協和を解消しようとします。この例だと、キツネは認知Aを以下のように変えたわけですね。
認知C | 認知B |
---|---|
あのブドウはすっぱくてまずいに違いないので、食べる必要はない。 | ブドウに届かないので、食べられない。 |
以下の2点を確認してください。
- 認知AをCに変えることで、認知Bとの対立がなくなった → 認知的不協和が解消する
- 認知Cは歪んでいる(現実を正しく認識しているとは言えない)
- ブドウがすっぱいかは分からない
つまり、キツネは認知を変えることでストレスからは自由になったが、その認知は歪んでいるということです。
人間は認知的不協和を抱えると、それを解消するために認知の歪みを起こすことがある
ここまでを図解すると、以下になります。確認してください(便宜上、歪む認知はAではなくBにしてあります)。
先述のとおり、厳密な意味での「認知的不協和」が意味するのは(認知の対立によって生じる)ストレスそのものですが、私たちが警戒すべきなのはこの認知の歪みのほうです。
というより、「認知が歪んでいる状況でないと、わざわざ『認知的不協和』という言葉を使う理由がない」と言ったほうが正しいでしょうか。現実を受け止めているなら、それで問題ありませんからね。ストレスはあるかもしれませんが、生きていれば少なからずストレスを感じるものです。
この例でも、キツネが「自分はブドウを食べたいけど、残念ながら届かない。それを受け入れて、ほかの食べ物を探そう」と考えていたら、それで問題ないですよね(寓話としてなんの面白味もありませんが笑)。
認知的不協和の例②:映画は面白かったのか
次は、私の実体験になります。
私は子供のころから、ある映画シリーズが大好きでした。キャラクターのセリフを英語でモノマネするくらい好きで、新作が封切りされるたびにチケットを買って、必ず映画館で見ていました。
ある年、シリーズの新作が公開されることになりました。当然、私はこれまでと同じく、チケットを予約します。この認知をAとしましょう。
公開日になり、私は新作を見にいきました。驚いたことに、新作はこれまでのシリーズを全否定するような内容で、とても楽しめるものではありませんでした。この認知をBとしましょう。私の認知は以下のとおりです。
認知A | 認知B |
---|---|
大好きな映画シリーズの新作が公開されるので、チケットを予約した。 | 新作はこれまでのシリーズを否定する内容で、見るに耐えないものだった。 |
このとき、私はなんとも言えない不安に襲われました。この感情は、単につまらない映画を見るのとはまったく異なるものです。なんというか、自分の足元の大事な部分が崩れていくような感覚でした。
このときに私が感じていたのが認知的不協和です(当時は知りませんでしたが)。
つらすぎるので、認知を歪めて対処する
実は、認知Bは現在の私の正直な感想であり、映画を見た直後の感想ではありません。
当時、私は自分の大好きなシリーズが別物になってしまった事実を受け止められず、キツネと同じように、以下の認知Cをひねり出したのです。
認知A | 認知C |
---|---|
大好きな映画シリーズの新作が公開されるので、チケットを予約した。 | 気になるところはあったが、新作は面白かった。 |
この認知Cは、当時の私の本心とすら言えるかもしれません。実際、友人に新作の感想を聞かれて「面白かった」と答えたからです。嘘をつく理由はどこにもなかったので、そう思っていた(思いたかった)のでしょう。
ただ、時間が経っても2回目を見たいとまったく思わなかったことから(シリーズのほかの作品は何度も見ている)、私は現実を受け入れて認知Bに至りました。そうなるまでに、1ヶ月くらいかかったと思います。
ここから分かるのは、認知的不協和による認知の歪みは無意識レベルで起こるということです。言い換えると、認知が歪んでいることに本人は気づきません。というより、認知が歪んでいることを自覚しているなら、普通の人はそれを修正しますからね。
私もこの経験を通じて、「自分の認知なんて、意外とアテにならないな」と思い知らされました。
認知的不協和による認知の歪みは、無意識レベルで起こる
認知的不協和が問題になるケース
さて、ここまでの2つの事例は「たいした問題ではない」と言えなくもありません。負け惜しみを言って気が晴れるならそれでいいのかもしれないし(情けないですが)、映画の良し悪しは好みの世界です。誰かに迷惑がかかるわけではありません。
認知的不協和が問題になるのは、歪んだ認知があまりにも現実・事実から乖離しているケース(過剰な自己正当化)です。結局のところ私たちは現実・事実の中で生きるので、そこから乖離した認知をしても不幸にしかなりません。有名な例を見てみましょう。
認知A | 認知B |
---|---|
自分はタバコを吸っている。 | タバコは健康に悪い。 |
本人は健康でいたいとすると、これでは認知が対立しています。対立を解消するには①認知Aを変える(=禁煙する)か、②認知Bを変えるしかありません。禁煙するのは大変そうなので、認知Bを変える(歪める)ことにしましょう。以下のようになりました。
認知A | 認知C |
---|---|
自分はタバコを吸っている。 | タバコによるストレス解消効果は、自分の健康に良い。 |
これくらい歪んだ認知は、さすがに問題だと言わざるを得ません。
現代科学の知見は「ストレス解消効果などをトータルで考慮しても、タバコは健康に悪い」というものです。この事実は動かないので、認知Cのように考えたところで何も前進しません。潔く「健康に悪くてもタバコを吸う人生を選ぶ」と腹をくくるか、禁煙するかのどちらかでしょう。
その他、過剰な自己正当化の事例
ほかには、以下のようなケースも現実から乖離した認知の例として知られています。
- 明らかなブラック企業で働いているが、一定期間働いてしまったので、良い点を探してホワイト企業だと思い込む
- どれだけホワイトだと思い込んだところで、現実はブラック企業なら、どこかで体調を崩すことになる
- ダメ人間と付き合っているが、長いこと付き合ってしまったので、「自分はダメな人が好きだ」ということにする
- 進化生物学的には、ダメ人間を好む個体は存在しないと考えられる(「ダメ」の定義にもよるが)
このように、あまりにも現実・事実から乖離した認知をしても、いいことはありません。これが認知的不協和の問題です。
認知的不協和への対策
最後に、認知的不協和への対策を考えましょう。これは「対策」という言葉をどう考えるかで以下の2通りに解釈できます。
- 認知的不協和によるストレスを解消する方法
- ストレスを感じながらも現実を受け入れる方法
この2つは別物なので、分けて考えましょう。
認知的不協和への対策①:ストレス解消法
まず、対策を「認知的不協和によるストレスを解消する方法」と考えるなら、認知を歪めることがストレス解消法になっているわけです。スライドを確認してください。
この反応は無意識レベルで起こるので、特に何かをする必要はありません。この意味では、私たちはオートで認知的不協和に対処できるのです。
さらに発展させて、意図的に認知を歪める手もあるかもしれません。たとえば、欲しいのにどうしても手に入らないものがある場合に、「そんなものは欲しくない」と自分に言い聞かせるのです。すっぱいブドウ戦法ですね。やりすぎは禁物だと思いますが、有用なケースもあるでしょう。
認知的不協和への対策②:現実を受け入れる方法
次は、「ストレスを感じながらも現実を受け止める方法」としての対策を考えましょう。本質的に重要なのはこちらです。認知を歪めてばかりいても仕方ないですからね。
シンプルに考えると、答えは「現実を受け入れよう」ということになりそうです。しかし、これが簡単にできるなら苦労はありません。繰り返しになりますが、認知の歪みは無意識レベルで起きます。つまり、私たちは自分が現実を受け入れていないことに気づけないのです。
ということで、ここはそんなに気の利いた対策はないのですが、1つのアイデアとして、認知的不協和によるストレスを小さく抑える(大きくならないようにする)という方法はあるでしょう。ストレスが小さいほど、現実を受け入れやすいのは明らかです。
『社会心理学』によると、認知的不協和によるストレスの大きさ・認知の歪みを決める要因は以下の3つです。
- 対立する認知の不一致度
- 認知の公然性
- 認知への投資量
このうち、「認知の不一致度」は事前にコントロールできませんが、残りの2つはコントロールできます。これを対策として考えてみましょう。
ストレスを抑える方法①:認知を公開しない
まず、認知の公然性が大きいほど、ストレスの大きさ・認知の歪みは大きくなります。分かりやすく言うと、大っぴらにしてしまったことは、引っ込みがつかなくなるわけですね。
裏を返せば、なんでもかんでも大っぴらにしないようにしておけば、引っ込みもつきやすいということです。具体的には、以下のことを意識しましょう。
- 言わなくていいことは言わない
- なんでも写真や動画にしない
- ネットに投稿する前に、「本当にそれを世界に公開する意味があるか?」と考える
特に重要なのは、太字にした最後のポイントでしょう。自分の認知をネットに公開するほど、それに縛られることになります。本当にそれが自分の望むことなのか、よく考えてください。
ストレスを抑える方法②:いきなり大きく投資しない
次に、認知への投資量が大きいほど、ストレスの大きさ・認知の歪みは大きくなります。これも分かりやすく言うと、大きく賭けてしまうと後に引けなくなるわけですね。これは「サンクコスト効果」という名前でも知られています。
ということは、いきなり大きく投資しないほうがいいということです。まずは小さく投資して様子を見るのが「認知的不協和への対策」という意味では正しいです2。
以上、認知的不協和について説明しました。次は、最後にチラッと触れた「サンクコスト効果」について説明します。
また、誤型(誤謬や認知バイアス)の一覧を以下のエントリーにまとめています。こちらも参考にしてください。