レトリック

このエントリーでは、議論において、伝え方を問題にする誤りについて説明します。

その代表例が「トーン・ポリシング」と呼ばれるものですが、トーン・ポリシングに限らず、伝え方を問題にする行為全般が誤りです。全体を捉えていきましょう。

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トーン・ポリシングとは

まずは、伝え方を問題にする誤りの代表例である「トーン・ポリシング」を説明します。

トーン・ポリシングとは、ロジックそのものではなく、そのロジックの伝え方(口調や論調)を議論の対象にすることです。トーン(口調・論調)をポリスする(取り締まる)からトーン・ポリシングですね。日本語では「話し方警察」と呼ばれることもあるようです。

とりあえず、例を見てください。

bear

小雨が降ってきたな。傘をさすべきだろうか?

panda

さすべきだろう。濡れると風邪を引くリスクがある。

bear

なんか上目線な言い方でムカつくわ。傘はささないことにする。

ここでクマがしているのがトーン・ポリシングです。会話を分析しましょう。

まず、論点は「傘をさすべきか?」ですね。論点に対する2匹のロジックはそれぞれ以下のとおりです。

論じている人主張根拠
パンダさす。濡れると風邪をひくリスクがあるから。
クマささない。「濡れると風邪をひくリスクがある」と言っているパンダの言い方が不愉快だから。

このように、クマはパンダの伝え方を問題にしています。このような行為・ロジックがトーン・ポリシングです。

Keyword

トーン・ポリシング:伝え方を問題にして、議論の相手やロジックを否定すること

厳密な意味でのトーン・ポリシング

なお、厳密な意味での「トーン・ポリシング」という言葉は、「伝え方を問題にする行為全般」ではなく、以下の2つの条件を満たすときだけ使うことが多いようです。

  1. 社会的課題に対して声を上げた人(およびそのロジック)に対し、
  2. その口調・論調を問題にして、その人(およびそのロジック)を否定すること

誰かが言葉の使い方を決めているわけではありませんが、実際に使うときには注意してください。

レトリック論法

ただ、議論において伝え方を問題にする行為は、論点に関わらず、すべて誤りです。ロジックを肯定するか・否定するかも関係ありません。

そのような「議論において伝え方を問題にする行為」には普及している名前がないので、これを「レトリック論法」と呼ぶことにします(造語)。

以下のスライドを見てください。

説得の構造(レトリック)

レトリック

主なメディア

これらは、議論における「伝え方(レトリック)」を詳しく説明したものです。つまり、このスライドに書かれていることを議論の俎上に載せたら、その時点で誤った(非合理的な)考え方をしています。

具体例を確認してください。

  • 顔を見せず、電話してきたのが気に入らない(ので、ロジックを否定する)
  • 足繁く通ってくれているから、提案を受け入れる
  • フォントがMS ゴシックでない文書はすべて却下する
  • その他、揚げ足を取る行為全般

これらはすべて、ロジック(内容)ではなくレトリック(伝え方)を問題にしていますよね。このような行為がレトリック論法です。

Keyword

レトリック論法:議論において伝え方を俎上に載せる行為全般(造語)

なお、先ほどのスライドの詳細はこのエントリーでは説明しないので、詳しく知りたい方は以下のエントリーを読んでください。

なぜレトリック論法は誤りなのか

なぜ、レトリック論法は誤り(非合理)なのでしょう?

これはシンプルに、伝え方と内容は無関係だからです。関係ないことを検討しても、意思決定の合理性は高まりません。

たとえば、上の段落を「です・ます調」から「だ・である調」に書き換えてみましょう。こうなります。

これはシンプルに、伝え方と内容は無関係だからだ。関係ないことを検討しても、意思決定の合理性は高まらない。

これでも、伝えている内容は何も変わりませんよね。もし「だ・である調」になった途端に「上目線だからムカつく(ので、ロジックを認めない)」と考えるのは、明らかに非合理的です。

こう言い換えてもいいでしょう。「伝え方が適切か?」という論点は、そのロジックの論点からはズレているのです。論点に対してまっすぐ考えたいなら、内容だけに集中しなければなりません。

伝え方を問題にするしかないとき

さて、たとえレトリック論法が誤りであっても、現実では伝え方を問題にせざるを得ないケースが存在します。頻繁に起こるのは以下の3つでしょう。

  1. 伝え方がひどすぎて、内容が理解できない
  2. 伝え方が不愉快すぎて、内容が頭に入ってこない
  3. 伝え方に問題がありすぎて、その人を信用できない

どれも、伝え方に問題があるせいで、内容を評価するステージに進めないということです。

このようなケースでは、議論を打ち切る(または最初から相手にしない)しかないでしょう。別に、世の中のすべての人と議論する必要はありません。無視すればいいのです。

このような対応もある種のレトリック論法だと感じられるかもしれませんが、ここは以下のように分けて考えるべきです。

  • 議論を打ち切る:相手のロジックを肯定も否定もしない
  • レトリック論法:議論をすると認めた相手に対して、伝え方を根拠にしてロジックを肯定・否定する

言い換えると、相手を土俵に上げるかを判断するときに伝え方を問題にすることは正当化されるが、土俵に上げた相手に対して伝え方を問題にするのはフェアではないということです。土俵に上げた相手とは、内容だけを検討しましょう。

ただ、「土俵に上げるか」の判断が行きすぎたものになれば、それは結局レトリック論法をしていることと同じです。基本的には「できるだけ伝え方の問題は見逃して、内容を理解するための努力をする」のが健全な態度でしょう。

以上、レトリック論法について説明しました。

これ以外の誤型については、以下のエントリーにまとめています。こちらも参考にしてください。