このエントリーでは、ロジカルシンキングとは何かを学びましょう。これは同時に、「論理的(ロジカル)」とはどういうことかを学ぶことでもあります。
ロジカルシンキング、つまり、「論理的な思考法」を身につけることが求められる世の中になっています。しかし、いざ「論理的」という言葉の意味を問われると、クマのように言葉に詰まってしまう人も多いでしょう。このあたりの、分かっているようで、実は曖昧な話を考えましょう。
なお、このエントリーだけでは、論理的に考えられるようにはなりません。それはもう少し時間がかかります。このエントリーはロジカルシンキングの概要が分かるだけなので、過度な期待はしないでくださいね。
では始めましょう。
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「ロジカル」とは|「論理的」とは
冒頭の会話にあったように、ロジカルシンキング(logical thinking)とは、翻訳すれば「論理的な思考法」です。
しかし、「ロジカルシンキングとは、論理的な思考法です」という説明(翻訳)は、何の役にも立ちません。「論理的」という言葉は、「ロジカル」と同じくらい意味が曖昧です。翻訳しても分かりやすくならないのです。
たとえば、「ニュースペーパーとは新聞のことです」という翻訳が役に立つのは、私たちが「新聞」という言葉の意味を感覚レベルで理解しているからです。すぐに頭にイメージが浮かんでくるし、言葉で説明しろと言われれば、「ねずみ色のペラペラした紙に、テキストや写真で、世の中の情報が掲載されているもの」くらいのことは言えますよね。
しかし、「論理的」はどうでしょうか?
あなたの「論理的」は?
先に進む前に、あなたが考える「論理的」の意味を以下の解答欄に書いてください。正解があるわけではないので、検索はせずに自由に書いて、この後の説明と比べると楽しめると思います。
「論理的」という言葉の意味を述べよ。
ついでに、もう一問やってみてください。
「科学的」、「合理的」という言葉の意味を述べよ。上で述べた「論理的」との違いがあると思うなら、それを明確にすること。
「論理的」の実態|我正語
どうだったでしょうか。先に2問目に対する私なりの答えを述べると、これらの言葉はすべて「正しい」という意味であり、同義語です。
以下のリストを見てください。
- 論理的
- 合理的
- 科学的
- 客観的
- 理性的
- 理知的
- その他、トピックによっては「医学的」、「経済学的」、「学術的」など
これらの言葉はすべて、「正しい(のはこちらです)」以上の意味を持ちません。私の観察するかぎり、それ以上の具体的な意味が人々の間で揃っているケースは見たことがないです。
実際、先ほどの練習問題では「論理的・合理的・科学的」の違いをうまく説明できなかったのではないでしょうか。それも当然で、実態として、これらの言葉はすべて同じ意味で使われているからです。
例を見てみましょう。
この「論理的」は、上記の言葉のどれと入れ替えても問題ないですよね。このように、上記の言葉は事実上の同義語です。
もちろん、微妙な意味の違いは存在します。ただ、言葉というのは、使う側と受け取る側で意味が揃っていないと機能しません。ほとんどの人が微妙な違いのレベルまでは掘り下げていない以上、異なる意味があるとするのは無理があります。
呼び名があると便利なので、上記の言葉をひっくるめて「我正語」と呼ぶことにしましょう(造語)。
我正語:「論理的」、「合理的」などの、実態として「正しいのはこちらだ」以上の意味を持たない言葉
私の感覚では、「論理的」は我正語の筆頭です。次点が「客観的」でしょうか。
なぜ我正語が多用されるのか
先ほど、我正語として9つの言葉をリストアップしました。探せばほかにもあるでしょう。
となると、1つの疑問が出てきます。なぜ、結局のところ同じ意味でしかない言葉がこれほど多く存在し、頻繁に使われているのでしょう?
答えは、現代社会では、我正語に象徴される「正しさ」が絶対的なもの(背景や価値観によらないもの)だとされているからです。言い換えると、我正語を使えば、自分の正しさがひとりよがりなものではなく、強固なものに支えられているようなニュアンスを出せるのです。
例を見てみてましょう。
私の意見では、この2つは実質的に同じ意味です。しかし、明らかに前者のほうがまっとうなことを言っているように見えますよね。
このように、「論理的(その他、合理的、科学的、などなんでも)」であることは、その背景にひとりよがりではない、絶対的な正しさがあるニュアンスを含みます。
ということは、我正語を使えば、絶対的な正しさが自分の味方になるわけです(少なくとも、本人はそう思える)。これが、さまざまな我正語が存在し、多用されている理由です。
「絶対的な正しさ」とは
では、その「絶対的な正しさ」は、具体的にどのように決まるものなのでしょう?
この問いに対する答えは後述しますが、とにかく、その答えがそのまま「論理的」という言葉の意味です。もちろん、辞書的には違う意味もありますが、私としてはこう考えることをオススメします。
言い換えると、「ロジカル・論理的」という言葉の意味を理解するのではなく、現代における「(絶対的に)正しい」とはどういうことなのかを理解すべきだということです。
私たちは我正語の背景にある「絶対的な正しさ」の存在はなんとなく認めていても、その具体的な内容は、私たちの間でまったく揃っていません。こんなことは学校で習いませんからね。
結果として、すべての我正語は「正しいのはこちらだ」ということをそれっぽく言っているだけの、実用性がない言葉になってしまったわけです。それなのに多用されているので、誰もが「論理的」や「客観的」の具体的な意味を知りたくて検索します。当サイトを訪れる人の相当数がそういう人だし、ひょっとしたらあなたもそうかもしれません。
残念なニュースですが、具体的な意味などありません。現状、あらゆる我正語の意味するところはフワッとした「絶対的な正しさ」であり、それ以上の意味などないのです。
結局、本質的な問題はその「絶対的な正しさ」の決め方が揃っていないことであり、あなたの興味もそちらにあるはずです。言葉の意味ではなく、「正しさ」の具体的な内容を考えましょう。
「ロジカル・論理的」という言葉の意味に囚われるのではなく、「絶対的な正しさ」の決め方を理解しようとすべき
我正語が頻出したら要注意
余談ですが、我正語が頻出する会話・文章に遭遇したら、その内容を疑いましょう。おそらく、内容は正しくありません。
繰り返しになりますが、言葉は使う側と受け取る側で意味が揃っていないと機能しません。それにも関わらず我正語を何度も使うということは、その原因は以下のどれか、または合わせ技です。
- その人は自分のことを「正しい」と思い込んでいる
- その人は我正語が機能していないことに気づいていない
- または、機能していないことに気づいているが、権威を装うために多用している
原因がどれであれ、その人の知性・誠実さには疑問符がつきます。内容をうかつに信用しないほうがよいでしょう。
同じ理由で、我正語を使うことはオススメしません。わざわざ「正しいのは私です」などと言わなくてもいいですよね。安っぽく見えるだけです。リストを再掲するので確認してください。
- 論理的
- 合理的
- 科学的
- 客観的
- 理性的
- 理知的
- その他、トピックによっては「医学的」、「経済学的」、「学術的」など
これらの言葉を使ったところで、内容が怪しく見えるだけです。どうしても使う必要があるときは、定義してから使いましょう。
我正語が頻出する会話や文章には注意する
「論理的(正しい)」とは
話を進めて、「論理的」とはどういうことかを確認しましょう。ただし、これ以降の「論理的」は便宜上の表現で、実際に説明しているのは、すべての我正語に象徴される、「絶対的な正しさ」の具体的な内容である点に注意してください。
以下の表にまとめました。
この表は、現代の日本における「論理的」という言葉を限界まで広義に捉えて整理したものです1。
表の左側(意味)は、「論理的であるための条件」と解釈することもできます。つまり、「論理的である」とは、以下の2つの条件を満たしていることです。
- 内容が正しい
- 説明が分かりやすい
順に説明します。
論理的であるための条件①:内容が正しい
論理的であるための第1の条件は、内容が正しいことです。
先述のとおり、これが「論理的」という言葉の本質的な意味です。辞書で「論理」を調べても、以下の意味が出てきます。
言うまでもなく、「論理的」とは「論理にかなっているさま」という意味です。つまり、辞書的な意味での「論理的」とは、「思考の妥当性が保証される法則や形式に則っているさま」という意味なのです。
そして、それは「正しい」を難しく言い換えているだけですよね。思考の妥当性が保証されているなら、それは「正しい」ということでしょうから。先ほどと同じく、世の中で使われている「論理的」を変換してみましょう。
- 「論理的に考えて」→「今から私が述べることが正しいよ」
- 「論理的に考えろ」→「君の話を、私は正しいと思えない」
- 「彼の話は論理的だ」→「彼の話は正しい(と、私は思う)」
結局、「論理的」は実態として「(自分にとって)正しい」以上の意味を持ちません。
もちろん、自分の好みで正しさを決めていては、本当の意味で「論理的」になることはできません。そこで、「内容が正しい」ためのさらに細かい条件(先ほどの言葉を借りるなら、「思考の妥当性が保証される法則や形式」)があるわけです。表を確認してください。
具体的には、以下の2つが「内容が正しい」ための条件です。
- 主張と根拠がある
- 根拠が妥当である(こちらは、さらに細かい条件あり)
これらを詳細に説明すると終わらなくなるので、ここでは当サイトの別エントリーからのスライド抜粋に留めます。このエントリーから順に読んでいけば理解できるようになっているので、心配しないでください。
このような条件を満たせれば、「内容が正しく」なり、それはすなわち「論理的である」ということです。
「論理的」とは、内容が正しいこと
論理的であるための条件②:説明が分かりやすい
論理的であるための第2の条件は、説明が分かりやすいことです。
こう言われて、「『論理的』という言葉は内容にかかるものだろう。説明の仕方には関係ないはずだ」と思ったかもしれません。ごもっともです。辞書的な解釈をするなら、「論理的」は説明の仕方には関係ありません。
しかし、内容が理解されなければ、内容の正しさが評価されるステージに進めません。
これは往々にして誤解されていることですが、「正しさ」は他者が決めるものです。少なくとも、ここで説明している「現代における、絶対的な正しさ」はそういうものです2。他者と「正しさ」を共有できることが、この概念(考え方)の素晴らしいところなのです。
ということは、常に、限界まで分かりやすく説明すべきなのは明らかです。繰り返しになりますが、内容の正しさが他者に評価されるためには、内容が正しく理解される必要がありますからね。説明が分かりやすいことは「内容が正しい」ための前提条件なのです。
よって、「論理的」であるためには、説明が分かりやすい必要があります3。
「論理的」とは、説明が分かりやすいこと
この条件は、「内容が正しい」より強調すべきことかもしれません。日本ではなぜか、簡単なこと・中身のないことを難しく説明することを「知的・論理的」だとする風潮があるからです。
詳しくは説明しませんが、あなたも暗号のような評論文を読んだことがあるでしょう。
間違いなく言えるのは、同じ内容であるなら、分かりやすい説明が「論理的」です。その逆がもてはやされるのは、一部の閉じた言論の世界だけです。そういう世界と関わらないようにしてください。
まとめ
まとめると、「論理的」とは、内容が正しく、説明が分かりやすいことです。表を確認してください。
そして、論理的であること(厳密には、我正語に象徴される「絶対的な正しさ」を理解していること)は、社会の基本(要請)とすら言えます。これによって、他者と正しさを共有できるわけですからね。この考え方以外に、他者と「正しさ」を共有する方法はありません4。
実際、「教育の目的は論理的になることだ」と言っても過言ではないでしょう。目的のトップ1かは議論の余地があるにせよ、ベスト3に入ることは確実です。
日本でも、私たちが実際にそのような「論理的な考え方(絶対的な正しさの決め方)」を理解しているかはともかく、基本(ゴール?)がそこなのは明らかです。義務教育のカリキュラムに数学が含まれていること(数学は論理を学ぶ学問)、高校数学で統計学が2022年度から必修化すること、政策の意思決定には専門家(科学者)が呼ばれることなどからも明らかでしょう。
当サイトにおける「ロジカルシンキング」
最後に、最初の質問に答えて終わりにしましょう。「ロジカルシンキング」とは何なのでしょう?
当サイトにおける「ロジカルシンキング」とは、ここまで説明してきた「絶対的な正しさ」に到達する考え方・説明の仕方の呼称として使います。いわゆる「論理的思考」の翻訳ではないので注意してください。どちらかといえば「合理的思考」に近いです。
ロジカルシンキング:現代における「絶対的な正しさ」に到達する考え方・説明の仕方のこと
お気づきのとおり、そこまで分かりやすい定義ではありません。冒頭で説明したように、定義ではなく、その中身を理解することに集中してください。「正しくて、分かりやすい」とはどういうことかを理解し、実践できればいいのです。その方法は、先ほどの表の右側に書いてあります。再掲するので確認してください。
これがそのまま、ロジカルシンキングで学ぶことです。統計学や説明の部分を除けば、基本的な内容は以下のリンクで学べます。現代社会における基本的な考え方を、一緒に勉強しましょう。
ガチガチに学びたいなら
ちなみに、最後にちゃぶ台をひっくり返すようですが、このエントリーで紹介した表は簡易版です。せっかくなので詳細版も見てください。
これは拙著『思考のすすめ』に掲載している「合理性の条件」です。「論理性」は別の意味で使っているので「合理性」となっていますが、同じ「絶対的な正しさ」を意味していると考えてください。
この表はさすがに細かすぎるので、当サイトでは先ほどの簡易版に沿って話を進めます(中長期的には統合予定ですが)。ガチガチに学びたい人は『思考のすすめ』を読んでください。
もちろん、当サイトでも基本的な部分はひととおり押さえられます。このまま学習を続けたい人は、以下のリンクに進んでください。次は「なぜロジカルシンキングを学ぶべきなのか」を説明します。
以上、「論理的」とはどういうことか、ロジカルシンキングとは何かを説明しました。
Footnotes
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「現代の日本における」とわざわざ書いているのは、旧来の「論理的」という言葉は表のような意味は持っていなかったからです。旧来の(論理学的な意味での)「論理的」は、「閉じた系の中で(与えられた前提が正しいとしたうえで)推論の妥当性が成立している」ことを意味し、「内容/結論が正しい」とは無関係の言葉です。これを本来の「論理的」の意味だと主張する人もいますが、①この用法は現代の日本においてはすでに少数派だと見受けられる、②言葉は生き物であり意味が変わるのは自然なこと、③このような厳密な意味での「論理的」という言葉には実用性がない(実社会では、前提まで含めて正しいかが重要)、という3つの理由により、当サイトはこの用法を採用しません。 ↩
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あなたが勝手に決める「(自分にとって)正しい」は、信念や感情と呼ぶべきものです。あなたの人生に関する重大な意思決定をするときは、こちらのほうが重要でしょう。しかし、これらは少なくとも「論理的」ではありません。 ↩
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ちなみに、これは「分かりやすいことを説明する」とはまったく違う意味なので注意してください。このエントリーも、分かりやすいことを説明しているわけではありません。難しいことを、できるだけ分かりやすく説明しています(成功していると嬉しいです)。 ↩
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ちなみに、価値観が揃っていれば(例:同じ宗教を信仰している)、別のやり方で正しさを定義できます。しかし、一般に人々の価値観は多様なので、論理的な考え方に頼るしかありません。ただ、このエントリーで述べた「論理的/科学的/合理的」なものが正しいというのも、究極的には1つの価値観に過ぎない点には注意が必要です。 ↩