
このエントリーでは、「根拠」とは何か、なぜ根拠が必要なのかを学びましょう。
何かを主張するときには、そこに根拠を添えるべきです。詳しくは後述しますが、あなたが神様か有名人でもないかぎり、根拠を伴わない主張は他者に受け入れてもらえません。自分の主張を通したいなら、「根拠」とは何か、なぜ根拠が必要なのかを理解して、自分の主張に妥当な根拠を添える必要があります。
では始めましょう。
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根拠とは
早速ですが本題に入りましょう。「根拠」とは何でしょう?
根拠とは、主張が正しい理由です。
とりあえず、例文で確認しましょう。


犯人は安田だ。
私がそう考える根拠は以下のとおりだ。
まず、証拠がある。安田の部屋から、プリンのゴミが見つかった。
そして、安田には動機もある。彼はプリンが大好きなんだ。
ここで太字にした部分が根拠です。この部分は、主張(「犯人は安田だ」)が正しい理由を説明していますよね。このように、ある主張が存在するときに、それが正しい理由を説明している言説が「根拠」です。
根拠:主張が正しい理由
では、この定義を掘り下げていきましょう。
根拠の条件①:主張が存在する
まず、「根拠」とは、主張に対して定義される概念です。根拠は単体では存在できません。ここが最重要ポイントです。
言い換えるなら、主張が主で、根拠が従です。主張が分からなければ、何が根拠なのかは分かりません。常に主張が先行します1。
根拠の前に主張がある
では「主張」とは何かと言うと、論点に対する直接的な答えです。ざっくりしたイメージとしては、「一番伝えたいこと」だと捉えてください。
このエントリーは「根拠」にフォーカスを当てるため、主張に関する詳細な説明は別エントリーで行っています。議論における「主張」の理解に自信がない人は、以下のリンクを読んでから先に進んでください。主張を理解せずに根拠を理解することは不可能です。
根拠の条件②:主張が正しい理由を説明している
次に、根拠は主張が正しい理由を説明していなければいけません。そういうものを「根拠」だと定義しているのですから、これは当然ですね。
逆から説明したほうが分かりやすいでしょう。たとえ主張とセットで述べられていても、それが主張の正しさを支えていると見なせない言説は「根拠」とは呼べません。例を見てみましょう。


犯人は安田だ。
僕がそう考える根拠は以下のとおりだ。
まず、証拠がある。安田の部屋から、プリンのゴミが見つかった。
あ、ちょっとコーヒーもらうね。ズズーッ。
そして、安田には動機もある。あいつはプリンが大好きなんだ。
ここで太字にした部分は、主張の正しさを支えるのに何の貢献もしていませんよね。このような言説は根拠ではありません。これはノイズです。
ただ、ここまで分かりやすいノイズは例外的です。これは会話調の例なのでギリギリ成立しますが、論説文で「ところで、コーヒーを飲ませて欲しい」なんて書かないですよね。つまり、主張するときに、わざわざノイズを含めようとする人はいないのです。
実際によく観察されるのは、「主張している人は根拠だと思っていることが、実は主張の正しさを支えることに何の貢献もしておらず、結果としてノイズになっている」というケースです。
ただ、これを「ノイズ」と呼ぶかは難しいところですね。むしろ、「間違った・妥当でない根拠」と呼ぶべきものでしょう。
主張とセットで述べられている言説のすべてが、主張の正しさを支えているとは限らない
練習問題
ここまでの内容を、練習問題で確認しましょう。
以下の会話において、根拠に該当する部分を指摘しなさい。


謎はすべて解けた……。
まず、状況的に、クマの他にゼリーを食べることができたのは2人しかいない。安田か、私だ。
そして、私はゼリーを食べていない。
つまり、犯人は安田だ。
以下に解答欄があるので、答えを書いてみてください。
まず、主張は「つまり、犯人は安田だ」ですね。
残りのすべてを根拠としたいところですが、さすがに「謎はすべて解けた……」はノイズとすべきでしょう。よって、残った部分が根拠です。
ちなみに、根拠が特定できたからといって、「主張が正しい」とは限りませんので注意してください。主張が正しいためには、根拠が妥当である必要があります。
なぜ根拠が必要なのか
ロジカルシンキングをする際には、主張と根拠は常にセットです。主張だけを述べることは許されません。具体的には、以下のような対応が求められます。
- 主張する側:主張に根拠を添える
- 受け手(主張される側):主張とセットで根拠を要求する(=根拠から主張の是非を判断する)
これはロジカルシンキングをする上での大原則です。
ロジカルシンキングでは、主張と根拠はセットである
なぜでしょう?
答えは、主張だけでは、他者が主張の正しさを評価することができないからです。
順に説明します。
「主張する」ということの意味
まず、「主張する」とはどういうことなのかを、もう少し具体的に考えてみましょう。
あらゆる主張は、他者に否定される可能性があります。というより、他者が否定できることしか「主張」とは呼べません(このあたりの詳しい説明は、先ほどの「主張」のエントリーで行っています)。
しかし、主張する本人は、その主張を「正しい」と考えているわけです。そうでなければ主張しませんよね。
つまり、人が何かを主張するとき、その人は他者から否定されうることを「正しい」と言っているわけです。ここがポイントです。
ここまでの話を、先ほどの例文で確認しましょう。分かりやすいように、根拠を消しておきました。


犯人は安田だ。
先述のとおり、パンダの主張は「犯人は安田だ」です。そして、この主張は、これだけでは正しいか判断できませんよね。犯人は他の人物かもしれません。
このように、主張とはそれ単体で見ると、正しさが脆弱なものです。それでも、主張する人はそれを「正しい」と思うから主張するわけです。
主張をするということは、他者から見てその正しさが明らかではないことを「正しい」と言うことである
これはあらゆる主張に当てはまることであり、おかしなことではありません。むしろこれは、ある言説が「主張」であるための条件です。
しかし、受け手からすると「主張だけでは、その正しさを決めようがない」という問題が生じます。主張する側は「主張は正しい」と思っているのかもしれませんが、受け手がそれに従う理由はありませんからね。否定してもいいのです。
主張の正しさの決まり方
では、受け手は、どうやって主張の正しさを決めればよいのでしょう?
結論を先に述べると、方法は以下の2つしかありません。
- 信じる(主張を無条件に受け入れる)
- 考える(根拠を評価する)
順に見ていきましょう。
主張の正しさの決まり方①:信じる
主張の正しさを決める1つめの方法は、信じることです。言い換えると、無条件に「主張は正しい」と受け入れます。
これの最も分かりやすい例は神様です。宗教の信者は、神様に対して根拠を要求したりはしませんよね。信者は無条件に「神様や教祖の言葉は正しい」と受け入れています。
このように、受け手側が「信じる」と決めれば、主張の正しさは疑われません。本来は脆弱なものである主張の正しさも、無条件に正しいことになります。
ただし、主張が信じてもらえるためには、主張する側が受け手にとって信じるに足る存在である必要があります。そのような存在とは往々にして、権威を伴う、絶対的な存在です。実際、「神様」という言葉は「絶対的な存在」という意味を含みますよね。それが神様が信じてもらえる理由です。
神様の他には、以下のようなものが「信じるに足る、絶対的な存在」として扱われることがあります。
- 役所(お上)
- お客様
- 上司
- 専門家
- 学者、XX士など
- 有名人・インフルエンサー
- 法律(特に憲法)
世の中には、これらのモノ・人を無批判に(中身を検討せずに)受け入れる人がいますよね2。
構造としては、それは神様を信じているのと同じです。実際、「お客様は神様です」という有名なフレーズがありますし、有名人やインフルエンサーの盲目的なファンを「信者」と呼びますよね。日本では宗教が盛んではないので、神様以外のモノが信仰の対象になりやすいのかもしれません。
主張の正しさの決まり方②:考える
主張の正しさを決めるもう1つの方法は、考えることです。具体的には、提示された根拠を評価します。
これはもう、原理的にこれしか残りません。ある主張が存在し、主張している人が信じるに足る存在でないなら、主張単体でその正しさを決めることは不可能だからです。根拠を出してもらうしかありません。
先ほどの例で確認してみましょう。


犯人は安田だ。
パンダがシャーロック・ホームズかコナン君ならこの主張を信じてもいいかもしれませんが、そうでない場合は、主張の正しさを決めようがありませんよね。これだけでは、情報が決定的に不足しています。
主張の正しさを決めるためには、主張の正しさを支えるような追加の情報を出してもらうしかありません。既に説明したとおり、それが根拠です。以下のスライドでイメージを掴んでください。
このように、主張する人は、主張の正しさというグラグラしたものを、根拠(土台)で支えるわけです。一方、受け手は土台の出来を評価することで、主張が正しいかを検討します。
このとき、受け手は自分の頭を使っていますよね。つまり、考えています。
どちらの方法を採用するか
どちらの方法で主張の正しさを決めるかは、状況によって使い分ければいいことです。正解があるわけではありません。
しかし、ロジカルシンキングでは、「信じる」という方法は採用しません。ロジカルシンキングで主張の正しさを決める方法は、常に「考える」こと、すなわち、根拠を評価することです。
これは理由があるような話ではなく、考えて主張の正しさを決めることを「ロジカルシンキング」と呼んでいるのです。「ロジカルシンキング」ですからね。考えないとダメです。
そして、先述のとおり、考えて主張の正しさを決めるためには根拠が必要不可欠です。よって、ロジカルシンキングでは、主張と根拠がセットであることが絶対条件になるわけです。
ロジカルシンキングでは常に、考える(根拠を評価する)ことで主張の正しさを決める
誤解しないでほしいのですが、私は「信じるのは悪いことだ」と言っているわけではありません。
単に、「信じる」という行為は「考える」という行為の対極にあると言っているだけです。「信じる」とは「疑わない」ということであり、「疑わない」とは「根拠を要求しない」ということです。考えるためには根拠が必要なのですから、信じてしまったら考えることはできません3。
考えたいなら、信じることをやめて、根拠を要求しましょう。「なぜ?」と問いかけるのです。提示された根拠を評価して、主張の正しさをあなた自身で判断してください。
それはエネルギーのかかる、面倒なことです。しかし、同時に楽しいことでもあると、私は思います。
そして、あなたもきっと、考えることを楽しめる人ですよ。私がそう主張する根拠を、考えてみてください。
以上、根拠とは何か、なぜ根拠が必要なのかを説明しました。次は、主張と根拠の関係を立体的に捉えてみましょう。
また、ロジカルシンキング関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。