
引き続き、「自己啓発」とは何かを考えていきましょう。このエントリーでは、ゴール主義と現状主義の違いを説明します。
なお、このエントリーは以下のエントリーの続編です。先に読んでおいてください。
では始めましょう。
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個人主義の人生観の2タイプ
前エントリーで説明したとおり、もっとも広義な「自己啓発」とは個人主義的な生き方のことです。
ただ、これだけでは何のことかサッパリ分かりませんよね。実際、個人主義的な生き方の中には、まったく異なる2つのタイプが存在します。今回はここを掘り下げましょう。
早速ですが、以下のスライドを見てください。
このように、個人主義的な生き方は以下の2つに大別できます。
- ゴール主義:幸福を「自己のゴール」に見出す人生観
- 現状主義:幸福を「自己の現状」に見出す人生観
先述のとおり、人生観は幸福観でもあるので、「幸福をどこに見出しているか」で分類しています。なお、2つとも私の造語なので注意してください。
どちらも、個人主義の人生観である(=自己のことを考えている)ことは変わりません。違うのは、幸福を見出している場所です。以下に主な違いをまとめました。
ゴール主義 | 現状主義 | |
---|---|---|
定義 (幸福のありか) | 自分のセットするゴール | 現状 |
現状の自分を | 否定する (より良い自分を想定する) | 肯定する |
問題を | 解決する | 受け入れる |
欲望を | 肯定する・高める | 否定する・減らす |
一言で言うと | ゴールに到達して幸せになる | いまに幸せを見出す |
歴史 | 浅い | 長い |
この2つはともに「自己啓発」と呼ばれますが、その方向性は完全なる別物です。順に見ていきましょう。
ゴール主義
まず、「幸福は自分のゴールにある」と考え、そのゴールを実現すること(問題解決すること)で幸福に到達しようとする生き方がゴール主義です。
ゴール主義:幸福を自己のゴール上に見出し、そのゴールを実現するための努力をする生き方
具体例を見てください。
- 夢を叶えたいから、(ほかにもやりたいことはあるけど)勉強する
- 上達するために、テニスの練習を頑張る
- スピード出世するために、週末は勉強会に参加する
どれも、「いまの自分(現状)とは異なる自分」に向かって行動していますよね。なぜそのような行動(努力)をするのかといえば、「ゴールを達成すること」が自分の望みだからです(=ゴールの達成が自分の幸福につながると考えている)。このような考え方がゴール主義です。
自己実現
当サイトでは、ゴール主義の生き方、およびそれに伴う行動のことを「自己実現」と呼ぶことにします。ゴールに到達することで新しい自分が「実現」するので「自己実現」ですね1。
こうする理由は、ここで定義した「自己実現」も「自己啓発」として扱われるからです。これが2番目に広義な「自己啓発」ですね。
一般的には、「自己実現」は「自己啓発」の同義語として扱われます。しかし、これだといよいよグチャグチャになって不便なので、当サイトでは「自己実現」の意味はここでキッチリ定義しておきます。
自己実現:ゴール主義の人生観に基づく生き方(=2番目に広義な「自己啓発」)
スライドでも確認してください。2番目に長い矢印が「自己実現」です。
現代の日本における「自己啓発」の主流はゴール主義(自己実現)です(ここは断言して問題ないでしょう)2。
ここからさらに、「何をゴールとするか」によって「自己啓発(自己実現)」がさらに狭義なものへ分岐しますが、その話は次回以降にまわします。このエントリーでは、ゴール主義の対極にある、現状主義の話に進みましょう。
現状主義
ゴール主義とは反対に、「幸福は自分の現状にある」と考え、現状に幸福を見出そうとする生き方が現状主義です。
ただし、これは「一切のゴールを放棄する」という意味ではないので注意してください。
現状主義でも、「生存・繁殖」といった、生物としての最低限のゴールは肯定されます。これらのゴールが達成できない人生観は後継者が生まれないため、中長期的には人類の中で普及しようがありません。現状主義とは「相対的に、ゴール主義ほどさまざまなゴールを持たない人生観」のことだと考えてください。
現状主義:幸福を自己の現状に見出そうとする生き方
これはゴール主義と比べてピンとこないかもしれません。
「ゴールを達成して幸せになる」というのは単純明快で、かつ世の中に広く普及している人生観です。受験勉強から就職活動まで、すべてゴールを達成しようとする活動ですよね。現代社会はこの人生観に支配されていると言ってもいいくらいです。
しかし、「いまのままで幸せになる」とは、どういうことなのでしょう?
幸福の決まり方
これを理解するためには、幸福とは主観的に決まることだという、身も蓋もない話に納得する必要があります。
分かりやすく言うと、あなたが幸せかどうかは、「いまの自分は幸せだ/いまの自分に満足だ」と思えるかどうかで決まります。そう思うことができれば各種の脳内ホルモンが放出されて、人間は幸福感に包まれるのです3。
つまり、究極的には、幸せになるために外的な状況は関係ありません。あなたが自分のことをどう思うかがすべてです。
幸福は主観的に決まる話であり、外的な状況は(究極的には)関係ない
極端な話ですが、いつガス室に送られるか分からない強制収容所の中でも、人間は幸せになれます。これは私の妄想ではなく、実際に第二次世界大戦時に収容所送りになったヴィクトール・E・フランクルが発見したことです。
収容所に入れられ、なにかをして自己実現をする道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。
ここに書いてあることは、そのまま「ゴール主義の人生を奪われたが、それでも幸せになれた」と読み換えられますよね。これこそが現状主義です。
では、どうすれば現状に幸福を見出すことができるのでしょう? 私の知るかぎりでは、以下の3つの方法があります。
- 神様に頼る(宗教)
- 科学に頼る(ポジティブ心理学)
- 何にも頼らない(自分で幸せになる)
順に見ていきましょう。
現状に幸福を見出す方法①:神様に頼る
第一に、神様に頼るという方法があります。知ってのとおり、これは宗教のことであり、現状主義の最大勢力です。
具体的には、神様に対する祈り・信仰を通じて自己の精神を整え、現状に幸福を見出すわけです。
実際、宗教は人間の過度な欲望を戒め、現状に満足することを推奨しているというのが私の理解です4。逆に言うと、大きな欲望を持って、それを達成するために自己を変えていくことを推奨している宗教を、少なくとも私は知りません。
このような宗教の特徴は、まさに現状主義そのものです。
先ほど引用した『夜と霧』によると、宗教は極限状態に置かれた人間の精神を整えることに貢献しています。
被収容者が宗教への関心に目覚めると、それはのっけからきわめて深く、新入りの被収容者は、その宗教的感性のみずみずしさや深さに心うたれないではいられなかった。とりわけ感動したのは、居住棟の片隅で、あるいは作業を終え、ぐっしょりと水がしみこんだぼろをまとって、くたびれ、腹をすかせ、凍えながら、遠い現場から収容所へと送りかえされるときに、閉め切られた家畜用貨車のなかで経験する、ささやかな祈りや礼拝だった。
誤解しないでほしいのですが、私自身は無宗教であり、このような宗教の効果を体験したことはありません。また、当サイトは宗教や、後述するスピリチュアル系の領域を扱う予定はありません。
それでも、「宗教は日本で一般に思われているほど怪しいモノではない」というのが私の意見です。世界中で数十億人の人が、それを信じているわけですからね。宗教が幸福度を高めることに貢献しないなら、これほど普及するはずがないでしょう。
ざっと調べてみましたが、「信仰心が高いほど、精神的に健全である」とする研究も見つかりました。
A large volume of research shows that people who are more R/S have better mental health and adapt more quickly to health problems compared to those who are less R/S.
(多数の研究が示すところでは、信仰心の高い人はそうでない人に比べ、精神的に健全であり、健康上の問題に素早く対処できる。)
これは面白いですよね。「信じる」という行為は非科学的かもしれませんが、「信じる」という行為が人を幸せにすることは、科学的に証明されうるかもしれないのです。
宗教は現状に幸福を見出すための手法体系である(と言えるのでは?)
スピリチュアル
現状に幸福を見出すために頼るものは、何も神様である必要はありません。「自己・人類を超えた偉大なもの」ならうまくいくようです。私の調べた範囲では、神様のほかにも「大宇宙」や「潜在意識」などが見つかりました。
このように、「自己・人類を超えたもの」に頼る現状主義のことを、「スピリチュアル(スピリチュアル系自己啓発)」と呼ぶことがあります。
スピリチュアル(系自己啓発):「自己・人類を超えたもの」に頼り、自己の現状に幸福を見出そうとする生き方・考え方
宗教とスピリチュアルの違いは曖昧ですが、「スピリチュアルのうち、頼りにする対象が神様で、かつ体系だっているもの」を「宗教」と呼んでいる、というのが私の解釈です。ただ、仏教のように神様に頼らない宗教もあるので、この定義も不完全ですが。
先述のとおり、当サイトではこの領域を掘り下げないので、先に進みましょう。興味のある人は自分で調べてください。
現状に幸福を見出す方法②:科学に頼る
現状に幸福を見出す第二の方法は、科学に頼ることです。ここはポジティブ心理学という学問分野が扱っている領域です。
ざっくり説明すると、ポジティブ心理学とは人間が幸福感を感じるための方法を調べる学問です。比較的、新しい分野ですね(従来の心理学は、鬱のような「心がネガティブになった人」を主な対象としていた)。
ポジティブ心理学では、以下のような状態を実現できれば幸福感が高まるとされています。
- マインドフルネス:「いま」に集中する
- フロー:何かに完全に没入する
- レジリエンス:ストレスからしなやかに回復する強さを身につける
どれも流行りの言葉なので、あなたも一つくらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
ポジティブ心理学は現状主義なのか
面白くもあり、ややこしくもあるのは、往々にして、ポジティブ心理学はゴール主義者にとって有用な道具として語られる、ということです。
もっとも分かりやすい例はマインドフルネスでしょう。マインドフルネスとは瞑想を通じて「いま」に集中することですが、これが心身の健康に良いということで、シリコンバレーのIT企業などで流行しています。
しかし、マインドフルネスの起源とされる、禅僧が行う瞑想の目的は「幸福になろうとする自分」からも離れること(いわゆる「解脱/悟り/無我」)です。つまり、「健康になる手段」として瞑想(マインドフルネス)を捉える時点で、本質と真逆の方向に進んでいるわけです。
こうなってしまう理由はおそらく、ポジティブ心理学の根底にある「科学」は、現状主義よりもゴール主義にフィットがいいものだからでしょう。科学こそがゴール主義の起源なのです(詳細は次エントリー)。
ただ、「ポジティブ心理学はゴール主義者に受けがいい」ということは「ポジティブ心理学はゴール主義を推奨している」ということを意味しません。
私の解釈では、ポジティブ心理学は明らかに現状主義的であり、ゴール主義者やゴール主義の現場(企業やビジネス)への過度な適用はリスクもあるような気がしています。現状を肯定ばかりしていては、他者の問題は解決できませんからね5。
実際、それを指摘しているポジティブ心理学の本もありました。
ネガティブな感情が成功を呼ぶポジティブ心理学に関しては私も勉強中ですので、一旦ここまでとさせてください。知見が深まり次第、追記していきます。
現状に幸福を見出す方法③:何にも頼らない(自分で幸せになる)
最後に、何にも頼らずに、自分で幸せになるという方法が考えられます。ここはさらに、以下の2つに分かれます。
- 理性を使う
- 理性から離れる
順に見ていきましょう。
自分で幸せになる方法①:理性を使う
まず、理性を使うという方法があります。これは要するに、どんな状況であっても、「自分は幸せだ」と思うようにするということです。先ほど紹介したヴィクトール・E・フランクルがやったのはこれですね。
先述のとおり、幸福かどうかは主観的に決まる話です。そして、「いまの自分は幸せだ」と思うために、どうしても何かが必要なわけではないですよね。
たとえば、シンプルに「毎日ハッピーに生きていたいから、自分はハッピーだと思い込むことにする」と決めてしまえばいいのです。実際、このほうが「自分は不幸だ」と思っているよりはずっとマシでしょう。
つまり、あなたを幸せにするのも、不幸にするのも、あなた自身です。
ただ、これは理想論であり、この方法で幸せになれる人は例外だと考えるべきでしょう。生きていれば何かとストレスがあるし、他者と自分を比較しないことも簡単ではありません。フランクルのような極限状態に置かれても現状に幸せを見出せる人など、まずいないでしょう。そこで、普通の人は神様や科学に頼るわけですね。
自分で幸せになる方法②:理性から離れる
最後に、理性から離れるという方法もあります。
話が大きく戻りますが、前エントリーの冒頭のスライドを確認してください。
理性的に生きつつ現状に幸福を見出す方法は、おそらくこれまで説明したものですべてです。神様、科学、自分の強い決意、これらのことを理由にして、「いまの自分は幸せだ」という結論(状態)を導くわけです。
しかし、そのような理由に頼らずに、幸せそうに生きている人ってたくさんいますよね。たとえば、以下のような人たちです。
- 子供
- とにかく欲望に従って、やりたい放題な人
- あまり深く考えず、緩く生きている人
- 犬や猫(もはや人間ではないですが、、、)
この人たちの共通項は、理性的に生きていないことです。言い換えれば、本能的に生きている人は、楽しそうにしています。少なくとも、不幸であるようには見えないし、「自分が幸せかどうか」なんてことすら考えていないですよね。
このように考えると、そもそも理性に囚われて、「幸せになるためにはどうすればいいか?」と考えること自体が、不幸への第一歩なのかもしれません。
誰もがもっと、本能的・感性的に生きるべきなのかもしれないですね。しかし、「どうすれば本能的・感性的に生きられるか?」という問いを立てたところで、これに答えようとすること自体が理性的であるというジレンマにハマります6。難しいところですね。
ということで、最後に「自己啓発」を否定するような話になったわけですが、閉塞感の高まる現代の日本においては、このような視点も持っておくべきではないでしょうか。
結局のところ、毎日を楽しく(不満なく?)生きていければいいわけですからね。
理性はそれを達成するために役立つものだと私は信じていますが、人間も動物である以上、本能や感性をないがしろにすべきではないでしょう。一方で、やはり野獣のように生きてはいけないわけで、最後には「何事もバランスだ」という、何の役にも立たない示唆が導かれます。答えは自分で出すしかないということでしょう。
ということで、答えは出せないのですが、まとめとして自己啓発のハイレベルな論点を書いておきます。
- どのように本能・感性・理性のバランスをとって生きていくか?
- 個人主義的に生きていくなら、ゴール主義にするか、現状主義にするか?
- ゴール主義と現状主義は一個人の中で並立しうるか? するとしたら、どのように使い分けるべきか?
先述のとおり、一般に「自己啓発」とは自己実現(ゴール主義)のことであり、ここに挙げたような論点は含まれません。
しかし、ハイレベルなところで間違えていると、そこから先で何を頑張っても無意味です。答えはないのですが、一度はこのような論点を考えてみるのがオススメですよ。
長くなってきたので、このエントリーはここまでとします。次は、ゴール主義と現状主義がどのように生まれたか、これから日本でどのような人生観が主流になるかを考えてみましょう。
また、自己啓発関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。
参考文献
ウェブサイト
書籍
Footnotes
-
なお、同じ意味で「自己開発」という言葉が使われることもありますが、こちらは音が「自己啓発」と似通っているので、当サイトでの使用は避けます。 ↩
-
現代の社会システムの基盤がゴール主義だと言っても過言ではありません。資本主義経済というものは、ゴール主義(人間の欲望が生まれ続けること)を前提としているからです。逆に言うと、みんなが現状に満足しだすと、企業が解決する問題がなくなるため、経済成長は不可能になります。 ↩
-
ただし、そもそもの「幸福を感じる脳内モルモンの放出しやすさ/受容しやすさ」には遺伝的差異があるので、主観的な要素ですべてが決まるわけではありません。そもそも幸福感を感じやすい人と、そうでない人がいるということです。 ↩
-
ただし、ヒンドゥー教のように人間の欲望を肯定している宗教もあるので、程度問題だと考えてください。 ↩
-
「ポジティブ心理学によって生産性が高まる」といったエビデンスが存在するのは、現代のゴール主義が人間にとってストレスフルになり過ぎているということではないかと私は考えています。 ↩
-
このジレンマに対する答えを出したのが釈迦であり、その答えは「幸せになるためにはどうすればいいか?」という問いを考えることをやめる(悟る)ことだ、というのが私の理解です。その境地(悟り)に至るための手段が瞑想なのでしょう。 ↩