自己啓発とは

このエントリーでは、自己啓発とは何か、どんな意味なのかを学びましょう。

社会人にもなると、「自己啓発」という言葉を一度は耳にします。本屋には自己啓発書コーナーがあり、会社から自己啓発を奨励されることもありますよね。終身雇用が崩壊しつつある日本では、社会人が自己啓発に取り組むことは当然となった感すらあります。

一方で、「自己啓発」と聞くと、何とも言えない気恥ずかしさや、胡散臭さ・怪しさを感じてしまう人もいるでしょう。私もそうです。

宇宙と一体化する方法から、年収を10倍アップさせる方法まで、世の中にはさまざまな自己啓発セミナーがあります。その一部には、詐欺の臭いがプンプン漂っていることは否めません。

一体、「自己啓発」とは何なのでしょう? 

このエントリーでは、ハイレベルな視点から「自己啓発」を捉え、現代社会における「自己啓発」という言葉の意味を整理します。

なお、このエントリーは「人の生き方」、「人生観」、「幸福」といった、フワフワした話を扱います。ここに書いたことが正しいと言うつもりはないので、話半分くらいで受け止めてください。あなたが考えるキッカケになれば嬉しいです。

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自己啓発とは

せっかくなので、軽いエクササイズから始めましょう。

Question

以下の行為が「自己啓発」に該当するか、あなたの判断を述べなさい

  1. 『年収が10倍アップする生き方』というセミナーに参加する
  2. 『夢を叶える5つの方法』という本を読む
  3. ロジカルシンキングを学ぶ
  4. プログラミング教室に通う
  5. 独学で料理の腕を磨く
  6. テニススクールに通う
  7. 教会でお祈りする

この中で、どれが「自己啓発」で、どれは「自己啓発」ではないと思いますか? 正解があるわけではないので、気軽に選んでください。

一応、番号が小さいほど「自己啓発」の一般的なイメージに該当するように選択肢を並べてあります。

おそらくですが、あなたは③から⑤あたりを「自己啓発」に含めるかで悩んだのではないでしょうか。たとえば、料理教室に通うことは「自分磨き」と呼ばれますが、独学で料理の腕を磨くことが「自己啓発」なのかと聞かれると、悩ましいですよね。

先述のとおり、この問題に正解はありません。しかし、もっとも広義に「自己啓発」を解釈するなら、上に挙げたものはすべて自己啓発です

自己啓発の定義:全体像

本題に入りましょう。「自己啓発」という言葉は何を意味するのでしょう?

結論から述べると、「自己啓発」という言葉の意味は人によってバラバラであり、単一の定義を決めることは不可能です。どれくらいバラバラなのかを以下のスライドにまとめました。

自己啓発とは

上段の内容は追って説明するので、まずは下段を見てください。私が観察した範囲では、これらのすべてが「自己啓発」の意味として使われています。矢印が長いほど広義で、短いほど狭義です。あなたの「自己啓発」は、この中のどれに近いでしょう?

とにかく、ここまで「自己啓発」の意味がバラバラな以上、「自己啓発」という言葉を定義することにたいした意味はありません。あなたがこれから「自己啓発」を考えるうえで重要なのは、以下の2点です。

  1. 自分の中で「自己啓発」の意味を明確にしておく
  2. 会話や文章で「自己啓発」という言葉を使うときには、その意味を明確に相手に伝える

この2点を押さえておけば、少なくとも「自己啓発」という言葉を使ううえで混乱することはないでしょう。どの定義を採用するかは、この先の説明を読んで、好みで選んでください。

人間の行動原理

では、広義なものから順に見ていく……前に、人間の生き方を考えてみましょう。自己啓発とは、人間の生き方に関わるものだからです。

以下のスライドを見てください。人間の行動原理(行動の根本的な動機)を分類しています。

行動原理の3タイプ

このように、人間の行動原理は以下の3つに大別できます。

  1. 本能
  2. 感性
  3. 理性

当然ですが、1人の人間の行動原理がこのどれかに集約されるということではありません。1人の人間の中にこの3つが混在しており、その割合が人によって異なると考えてください。たとえば、理性的に生きている人でも食事はするし、トイレにも行きますよね。これらは本能的な行動です。

それぞれの行動原理の違いは、スライドを見てください。本能と感性は「自己啓発」とはあまり関係ないので、このエントリーでは割愛します1

なお、「行動原理」は堅苦しいので、これ以降は単に「生き方」と表記します。

理性的な生き方と人生観

行動原理の3タイプ(理性)

「自己啓発」と関係が深いのは理性的な生き方なので、ここを掘り下げていきましょう。

理性的な生き方とは、理由を伴う判断に従う生き方のことです。さすがに、現代社会では本能と感性だけで生きていくことはできませんよね。少なからず、誰もが理性的な生き方をする局面があります。

Keyword

理性的な生き方:理由を伴う判断に従う生き方

人生観

私たちが理性的な生き方をするとき、そこには「こうすべきだ・こうしたほうが得だ」という判断が存在します。そういう判断をすることを「理性」と呼ぶのですから、これは当然ですよね。

そのような判断の基準になる価値観のことを、「人生観」と呼ぶことにしましょう。「人生観」という言葉はもう少し広い意味で使われることもありますが、ここではこの意味に限定します。

Keyword

人生観:理性的な生き方の判断基準となる価値観

例を見てみましょう。

  • 夢を叶えたいから、(他にもやりたいことはあるけど)勉強する
  • 神様が見ているから、たとえ一人のときでも規律正しく振る舞う
  • 目立たず、周囲に同調していたいから、他の人と違ったことはしない

ここで太字にした部分が人生観です。どれも自己の行動を決定する判断基準になっていることを確認してください。

もちろん、人生観は人それぞれですし、これを言語化しているケースは少ないでしょう2。しかし、人が理性的な生き方をするとき、そこには必ず人生観が存在します。そうでなければ、理性的な行動が発現しようがありません。実際、人間以外の動物や赤ちゃんは、人生観もへったくれもないので、理性的な行動をしませんよね。

まとめると、私たちが理性的な生き方をするとき、その根本には人生観があります。理性的な生き方とは判断に従う生き方で、その判断基準が人生観だからです。

Point

理性的な生き方の根本にあるのは人生観である

人生観 = 幸福観

人生観は「幸福観」と言い換えられます。私たちの判断基準というのは、結局のところ「そうしたほうが自分が幸せになると期待できるか」に集約されるからです。

先ほど説明した「『こうすべきだ』という判断」は、厳密に言うと「諸々の状況をすべて加味すると、そうすることが自分にとって望ましい・得だ」という判断のことです。そして、この「自分にとって望ましい・得だ」という状態に至っていることが、いわゆる「幸福」ですよね。このように、人生観は幸福観なのです。

実際、私たちは「自分が不幸になる」と分かりきっている行動を選びません3

もちろん、過去を振り返って「あれは間違っていた」と思う行動は誰にもあるでしょう。しかし、過去にその行動を選んだ理由は、以下の2つのどちらかなはずです。

  • よく考えずに、欲望・衝動に流された(=本能的・感性的な生き方をした)
  • よく考えて、それが良いと判断した(=理性的な生き方をして、当時の人生観に従えばそれは正しかったが、その人生観は間違っていた)

言い換えると、熟考した上で行動に移したことは、その人にとって「望ましいこと・幸せにつながること」だと解釈するしかありません。行動はあなたの幸福観を語るのです。

人生観の分類

では、人生観にはどのようなタイプがあるのでしょう?

先述のとおり、人生観は人それぞれです。ただ、そんなことを言っていても前に進まないので、以下のスライドを見てください。

個人主義と全体主義

ここでは便宜上、人生観を以下の2つに大別してみました。

  1. 個人主義:「自分」を中心にして判断する人生観(自己が全体に優先する)
  2. 全体主義(集団主義):「みんな」を中心にして判断する人生観(全体が自己に優先する)

先ほどの行動原理と同じで、一個人がこのどちらかに100パーセント偏るというわけではありません。あくまで大きな方向性の話です。

順に見ていきましょう。

全体主義

順序が逆になりますが、おそらくこちらのほうがピンときやすいので、全体主義から始めましょう。

全体主義とは、自己の所属するコミュニティ全体が、自己に優先する人生観のことです

Keyword

全体主義(の人生観):自己の所属するコミュニティ全体が、自己に優先する人生観

何かをするときに、以下のようなポイントが判断基準になったりしないでしょうか。もしそうなら、それは全体主義の人生観です。

  • 周りの人と同じか?
  • 恥をかかずに済むか・後ろ指を指されないか?
  • 空気を読めているか・浮いていないか?

一般に、日本人の人生観は全体主義的だと言われています。これは確固たる根拠がある話ではありませんが、私もその意見に賛成です。

あなた自身は、全体主義的な人生観を持っていないかもしれません。しかし、このような考え方をする日本人が多いことは否定できないでしょう。

個人主義

次に、個人主義とは、自己が、自己の所属するコミュニティ全体に優先する人生観のことです

Keyword

個人主義(の人生観):自己が、自己の所属するコミュニティ全体に優先する人生観

これは全体主義の反対だと考えれば理解しやすいでしょう。良く言えば「個性のある人」、悪く言えば「自分勝手な人」です。

ただし、たとえ個人主義であっても、他者のことをまったく考えないということではありません。あくまで、全体よりも自己が優先するという話です。

もっとも広義の「自己啓発」

やっとのことで準備ができたので、本題に戻りましょう。もっとも広義な「自己啓発」とは、個人主義の人生観に基づく生き方のことを指します。スライドの左側ですね。

個人主義と全体主義

冒頭のスライドでも確認してください。

自己啓発とは

これだとあまりに広義な上に、個人主義の二大派閥である「ゴール主義」と「現状主義」は完全なる別物です(次回のエントリーで説明)。まだピンとこないと思いますが、ここではとにかく、「自己啓発とは、個人主義的に生きていくことだ」ということを押さえてください。

私の観察した限り、これはどんな「自己啓発」にも当てはまります。逆に、これに当てはまらないことを「自己啓発」と呼ぶことはありません。

「自己」啓発ですからね。自分にフォーカスが当たっていなければおかしいわけです。

Point

もっとも広義な「自己啓発」とは、個人主義的な生き方のことである

つまり、自己啓発においては、周りと同じか、空気を読めているか、といったことは考えません。意地悪な言い方をするなら、自己啓発とはまさに「自分だけを幸せにしようとする行為」です。他者の心配をする前に、自分の心配をするわけですね。

なぜ自己啓発は日本人にしっくりこないのか

私の仮説としては、これが日本で「自己啓発」がなんとなく怪しいモノとして扱われる根本的な理由です。

先述のとおり、日本には全体主義的な人生観が深く根付いています。全体主義と個人主義はどうしても相容れないものなので、日本には個人主義的な人生観や、それを体現する生き方にアレルギーのある人が多くいます。

就職活動を頑張る大学生を「意識が高い」と揶揄したり、英語を習得した結果として会話に横文字が増えることを馬鹿にしたりするのは、この傾向の典型でしょう。出る杭を叩かずにはいられないのです。

Point

日本に深く根付いている全体主義が、自己啓発への違和感の原因ではないか?

なぜ自己啓発が日本で流行るのか

逆の見方をすると、日本で自己啓発が流行っていることは、日本人の人生観が個人主義へ変化している証左でもあるでしょう。

その主な理由として考えられるのは、以下の3つです。

  1. 戦後70年以上、日本は個人主義大国アメリカの思想・文化を輸入し続けている
  2. 日本は経済的に衰退している
  3. ネット社会の到来により、生き方や価値観が多様化している

順に見ていきましょう。ただし、どれも語られ尽くされていることなのでサラッといきます。

自己啓発が流行る理由①:アメリカの影響

第一に、日本は戦後70年以上、アメリカの思想・文化を輸入し続けています

言うまでもなく、アメリカは個人主義大国です。敗戦によって日本のすべてがアメリカ仕様になったわけではないにせよ、私たちがあらゆる側面でアメリカの影響を受けていることは確実です。

このような環境下では、私たちが個人主義に傾くのは当然と言えます。むしろ、依然として全体主義の人生観が日本に強く根付いていることに驚くべきなのかもしれません。

自己啓発が流行る理由②:経済的な衰退

第二に、日本は既に経済的な成長が止まっており、今後は衰退局面に入ると予想されます。以下のグラフを見てください。

日本のGDPの推移

というわけで、日本はここ30年間、成長していません。有名な話ではありますが、改めてグラフにするとインパクトがありますね。

この傾向は、他の経済指標(実質GDPやGDP成長率など)を見ても変わりません。1990年ごろを堺に日本経済にブレーキがかかり、以降、日本はその状態を脱せていないのは確定的な事実です。

ちなみに、ここ7年くらいは緩やかな成長軌道に乗っていましたが、2020年はコロナの影響でGDPが大きく下落するのは確実なので、緩やかな成長も終わりました。今後は人口の減少スピードも加速し、高齢化率も上がっていきます。これからの日本経済は「良くて横ばい、現実的には右肩下がり」になるでしょう。

社会全体が成長しているなら、全体主義で周りに合わせるのも悪くありません。イケイケドンドンで、誰もがおいしい思いをできますからね。

しかし、社会全体が衰退しているなら、話は逆になります。周りに合わせていたら、自分も衰退するわけですからね。「自分は他の人と違うことをしよう」と考える人が増えるのは当然の帰結です。

自己啓発が流行る理由③:ネット社会の到来

最後に、ネット社会になったことも無視できない要因です。

ネット社会の到来により、私たちがインプットする情報は多様化しています。昔は居間で家族全員が同じテレビを見ていたわけですが、今は自分のスマホかタブレットで好きなことをしますよね。そもそも、民族・国家として画一的な人生観は形成されにくくなっていると言えるでしょう。

また、以下のようなことは、ネット社会以前では想像もできないことでした。

  • 知りたいことを即座に、かなり深いレベルまで調べられる
    • お金を払えば、専門家にインタビューもできる
  • 個人が世界中から受注して、世界中に納品し、生計を立てられる
  • ゲームや釣りのような、趣味をしているところを配信して、生計を立てられる
    • もちろん、一部の成功者に限られる

まとめると、ネット社会の影響により、私たちの人生観は多様化しており、選べる選択肢も増えています

このような状況下で自分にとって最適な選択をしたければ、自分で考えるしかありません。周りと同調しようにも、周りもバラバラになっているからです。

以上、日本で自己啓発が流行する理由として考えられるものを紹介しました。他にもありそうなので、あなたも考えてみてください。

広義の自己啓発の2分類

話を進めましょう。個人主義的な生き方(自己啓発)には、どのようなものがあるのでしょう? 以下のスライドを見てください。

ゴール主義と全体主義

長くなってきたので、このエントリーはここまでとします。次回のエントリーでは、個人主義的な生き方の二大派閥である、ゴール主義と現状主義を解説します。

また、自己啓発関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。

参考文献

Footnotes

  1. ただし、感性に関しては「感性を磨く」といった形で自己啓発(当サイトの定義だと「自己開発」)と紐付けられることがあります。本能は自己啓発にまったく関係ありません。

  2. 人生観を言語化していることが稀なので、自己啓発本には「人生観を言語化するエクササイズ」が載っています。

  3. 心身が健全な状態であるときに限ります。