このエントリーでは、「仮説」とは何かを説明します。
実社会では、正解の分かっている問いは考えません。ビジネスであれ研究であれ、考えるのは正解の分かっていない問いです。
仮説とは、この「正解の分かっていない問い」を考えるうえで重要な役割を果たすものです。仮説のメリット・デメリットを理解し、仮説とうまく付き合えるようになりましょう。
また、「仮説」という言葉は普通の会話とロジカルシンキングを使うとき(ビジネスや研究のように真面目に考える文脈)で、少し意味が変わります。そのあたりのことも整理しましょう。
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「仮説」とは|普通の会話における意味
まずは「仮説」という言葉の意味を確認しましょう。広く一般に使われる言葉なので、まずは広義の「仮説」からです。以下のスライドを見てください。
結論を先に述べると、「仮説」とは、それを述べる人がその正しさに確信を持っていない言説のことです。スライドにはもっと細かいことが書いてありますが、それについては後述します。
具体例を見てください。
毎日、生きていくのが辛くて仕方ないんだ。どうしたらいいだろう?
よく分からないけど、筋トレしてみたら? 仮説だけどね。
ここで太字にした部分が仮説です。明らかに、パンダは「(生きていくのが辛いなら)筋トレすればいい」という言説の正しさに確信を持っていません。このように、それを述べる人がその正しさに確信を持っていない言説が「仮説」です。
詳しくは後述しますが、ロジカルシンキングで「仮説」という場合は、もう少し厳格な意味でこの言葉を使います。それでも、「それを述べる人が、その正しさに確信を持っていない」ということが「仮説」の本質です。まずはここを押さえてください。
仮説:それを述べる人が、その正しさに確信を持っていない言説
言説の正しさと名称の関係
ここからは、先ほどのスライドを掘り下げながら、比較感の中で「仮説」という言葉を捉えていきましょう。一部、関係ないように見える話も含まれていますが、それが仮説の役割やデメリットを理解するうえで重要になります。しばらくお付き合いください。
このスライドは、「ある言説が、どのような名前で呼ばれるか」をマッピングしたものです。これ以降、分かりやすさのため、言説を述べるのはあなたであると仮定します(スライド中は「私」と表記)。
中身の前に、枠組みを説明します。
縦軸:言説の正しさに対する自信
まずは縦軸を見てください。これは、「あなたが、その言説の正しさにどれくらい自信を持っているか」を表しています。
たとえば、あなたが「人間は水分を摂取しないと生きていけない」という言説を述べるとしましょう。あなたはこの言説を「意見」や「推測」とは呼ばないですよね。おそらく、「事実」か「常識」のどちらかを選ぶはずです。
理由は、「人間は水分を摂取しないと生きていけない」という言説を、誰かが否定するとは考えられないからです。つまり、あなたはこの言説の正しさに確信があります。実際、正しいでしょう。
言い換えると、「事実」や「常識」という言葉は「自分はこの言説の正しさに確信がある」というニュアンスを含んでいるわけです。
このように、「言説の正しさに対して持っている自信」に応じて、その言説が何と呼ばれるかは変わります。まずはここを押さえてください。
ある言説をどう呼ぶかは、それを述べる人がその正しさにどれくらい自信を持っているかで変わる
スライドのとおり、「言説の正しさに対する自信」は以下の3レベルに大別できます。
- 自信レベル大:他者が否定するとは考えられない
- 自信レベル中:自分にとっては正しいが、他者が正しいと思うかは分からない
- 自信レベル小:自分自身も、正しいか分からない
このレベルに応じて、言説の呼び名がいくつかあるのです。
横軸:言説に付随する根拠の妥当性
では、ある言説の正しさに対する自信は、どのように決まるのでしょう?
とりあえず仮置きで、「妥当な根拠があるほど、あなたはその言説の正しさに対して自信を深める」とさせてください。そこまでおかしな話じゃないですよね。ということで、横軸には根拠の妥当性が引いてあります。右に行くほど、その言説には妥当性の高い根拠があるということです。
言い換えると、妥当な根拠が見つかれば、言説の呼び名が上側にグレードアップしていくということです。たとえば、「当てずっぽう」でしかなかったものが、根拠が見つかることによって「意見」に出世したりするわけです。
なお、「根拠の妥当性」と「人間が何を正しいと思うか」には、そこまで強い相関はありません。言説の呼び名はスライドの45°線上にピシッと並ぶ(比例関係になる)わけではないということです。
人間は、根拠の有無や妥当性に関わらず、正しいと認めたい言説に対する自信を深めます。人間には「信じる」という能力があるからです。このあたりの話は後ほど補足します。
言説の呼び名|「仮説」の位置付け
準備ができたので、レベルごとの言説の呼び名を見ていきましょう。なお、これは「仮説」の意味を明確にするために行なっている回り道なので、「仮説」との違いを意識することを忘れないでください。
自信レベル大:真理、真実、事実、常識
まず、正しさに対する自信が最大レベルの言説から始めましょう。具体的には、「自分だけでなく、誰にとってもこの言説は正しいはずだ」と思える言説に使う呼び名です。
このカテゴリーに属する呼び名には、以下のものがあります。
- 真理
- 観察不可能なメカニズムや法則に使われることが多い
- 例:「万物は引力を有している」という真理
- 真実
- 創作(推理小説や歌詞など)以外では、あまり使われない印象
- 事実
- どんなことにでも使われる
- 特に強固な根拠があり、学者の間で異論がない言説は「科学的事実」と呼ばれることもある
- 常識
- 明確な根拠があるとは言い難い、社会的な規範・価値観に使われやすい
- 例:人を殺してはいけないことは常識だ
この4つの言葉はどれも、「誰もが、この言説を正しいと認めるはずだ」というニュアンスを含みますよね。「真理」や「真実」に至っては、「正しさに議論の余地なし」という強いニュアンスが乗ります1。つまり、あなたがこれらの呼び名を使うとき、あなたはその正しさに確信があるのです。
ちなみに、論説文においては、これらの言葉を軽率に使うべきではありません。
理由はシンプルで、他者が何を正しいと認めるかなど、私たちには知りようがないからです。世界の全人口に向けて強制アンケートでもやらないかぎり、他者が何を考えているかは分かりません。そこまでやっても、全員が正直に答えることは保証されないのが現実です。
つまり、何が「真理」や「常識」なのかは分からないのです2。
上に挙げた言葉を多用することは、「私が正しいと思っていることは、他者も正しいと認めて当然だ」という傲慢さの発露にほかなりません。あなたの説得力は上がらず、むしろ安っぽく見えるだけです。
余談ですが、これらの言葉(特に「真理」や「真実」)は言葉そのものにパワーがあるので、創作においては積極的に使うべきかと思います。
「真実」は3つある……
自信レベル中:主張、信念、意見
少し自信のレベルを落としましょう。次は、「自分にとっては正しいが、他者が正しいと認めるかは分からない」と思える言説に使う呼び名です。
このカテゴリーに属する呼び名には、以下のものがあります。
- 主張
- 「私にとって正しいし、他者にも正しいと認めてほしい」というニュアンス
- (主張する人から見て)妥当性の高い根拠を伴うことが多い
- 信念
- 「根拠はないが、私にとって正しい。他者がどう思うかは関係ない」というニュアンスが強い
- 例:「元気があれば何でもできる」という信念
- 意見
- この3つの中では、正しさに対する自信がやや低い
まず、「主張」はロジカルシンキングのメインキャストなので、以下のエントリーで詳しく解説しています。このエントリーでの説明は割愛させてください。
ここでは、「主張」の対比として「信念」を考えるのが面白いでしょう。この2つは「自分にとって正しい」という部分は共通ですが、「他者に正しいと認めてほしいか」が異なります。
また、信念は根拠を必要としません。あなたが正しいと認めるものは、それだけで(あなたにとって)正しくなるのです。信念は、先ほど述べた「『根拠の妥当性』と『人間が何を正しいと思うか』には、そこまで強い相関はない」ということの象徴的な例です。以下のエントリーも参考にしてください。
なお、「意見」はこのカテゴリーに含めましたが、ここは意見が分かれるところかもしれません。
たとえば、「あくまで一意見だけど」という言い方をする場合、その正しさには自信がない場合もありますよね。「意見」をこのカテゴリーに含めるか、次のカテゴリーに含めるか、あなたの意見はどちらでしょう?3
自信レベル小:仮説、推測、当てずっぽう
最後に、自信レベルを最低まで落としましょう。具体的には、「正しいかどうか、自分でも分からない」というレベルです。
このカテゴリーに属する呼び名には、以下のものがあります。先述のとおり、ここに本題である「仮説」も含まれます。
- 仮説
- 推測
- その他、「憶測」、「予測」など
- 当てずっぽう
このカテゴリーの言説は、「これは 仮説 / 推測 / 当てずっぽう だ」といった表現とセットで述べるのが普通です。そうしないと、言説がこのカテゴリーに属している(=あなたは正しさに自信がない)ことが受け手に伝わりません。例を見てみましょう。
毎日、生きていくのが辛くて仕方ないんだ。どうしたらいいだろう?
筋トレしてみたら?
これだと、パンダは「(生きていくのが辛いなら)筋トレすればいい」という言説に、それなりの自信があるように見えてしまいますよね。なんらかの「これから述べることの正しさを、自分は保証しないよ」というニュアンスの表現を添えないと、その言説は最低でも「意見」であるように見えるのです。
逆から言うと、「これは 仮説 / 推測 / 当てずっぽう だ」と言っておけば、あなたはその言説に対する責任を負わなくて済むわけです。
たとえば、「これは私の仮説にすぎませんが」という表現があります。これは単に、「これから述べることが間違っていても、私は責任を取りません(=テキトーなことを言うよ)」という言葉をオブラートに包んでいるだけです。私もたまに使いますが、使い勝手はいいですね。
このように、このカテゴリーに属する言説は、それを明示することによって、あなたは正しさを保証しません。逆に言えば、間違っていてもいいのです。つまり、仮説は間違っていても構いません。これは当たり前に見えて、忘れられがちなポイントです。
仮説は間違っていても構わない
ただし、このような呼び名を使う場合でも、その言説が「あなたの中でもっとも正しい」ことは確実です。わざわざ、2番目や3番目に正しそうなことを言う必要がありません。たとえ完全な当てずっぽうであっても、あなたにとってベストなものではあるわけです。
最後に、感覚的な話ですが、「仮説」には「推測」や「当てずっぽう」よりは自信があるニュアンスが含まれると私は思います。あなたの中で明確に言語化できているかはともかく、なんらかの根拠はあるわけですね。スライドにはそれが反映してあります。
以下の定義も参考になるでしょう。
以上が、一般的な意味での「仮説」になります。
ロジカルシンキングにおける「仮説」
ここからは、ロジカルシンキングにおける「仮説」の意味を説明します。以下のスライドを見てください。
見てのとおり、ロジカルシンキングに関係ない呼び名にはご退場いただきました。
結論を先に述べると、ロジカルシンキングにおける仮説とは、仮の主張のことです。「現時点での、主張の最有力候補」と言ってもいいでしょう。
ロジカルシンキングにおける「仮説」:仮の主張
さらに、その仮説はリサーチによって検証され、晴れて主張に出世するか、棄却されるかのどちらかです。つまり、仮説が仮説のままでいることはありません。ここが、一般的な意味での「仮説」との決定的な違いです。
ロジカルシンキングにおいては、仮説は検証されるものであり、仮説のままでいることはない
スライドを順に確認しましょう。
はじまりはいつも論点
まず、ロジカルシンキングの始まりは、いつも論点です。仮説や主張ではありません。よって、スライドの左側には論点があります。
そして、論点が設定されれば、知りたいのは主張(厳密には、根拠を伴うロジック)です。このあたりの話は、以下のエントリーも参考にしてください。
終わりは行動か定説
次に、終わりを確認しておきましょう。主張が分かった後のルートは、ビジネスか研究かで変わります。
まず、ビジネスとは問題解決なので、考えた後に行動が待っています。導かれた主張が個人や組織として「正しい」ということになれば、意思決定して行動に移ります。
研究の場合は、その目的は問題解決ではなく、真理の探求です。よって、主張は研究者コミュニティで精査され、晴れて主張が「正しい」という賛同が得られれば、あなたの主張は「定説」と呼ばれます4。
ビジネスと研究における根拠の違い
余談ですが、ビジネスと研究にはこのような違いがあるため、「仮説」を「主張」にする際に求められる根拠のレベルが大きく異なります。
端的に言うと、ビジネスで本当に興味があるのは、主張が「正しい」ことではなく、行動して結果が出ることです。よって、研究サイドから見るととても主張にはできないレベルの根拠しかなくても、それをもとに主張して、行動に移ります。また、行動から得られたデータを根拠にして、さらに新しい主張・行動に結びつけることも一般的です。
一方、研究では「正しいかどうか」にしか興味がありません。よって、根拠の妥当性が強く要求されるし、それが他者から徹底的に精査されます。
つまり、ビジネスの「主張」は枠の左下、研究の「主張」は右上に寄るということです。スライドでは分かりやすさのために「主張」を1つで表現していますが、頭の中で動かしてみてください。
さらに、ビジネスでは「主張」をショートカットすることもあります。仮説が立ったらさっさと行動に移って、結果で仮説を検証し、行動を改善していくわけです。行動のコスト・失敗した際のダウンサイドリスクが小さい場合は、こちらのほうが効率的です。このあたりの話は、以下のエントリーも参考にしてください。
ただ、このような違いはあるにせよ、最近はビジネスで求められる根拠のレベルも上がりつつあるというのが私の印象です。あらゆる場所でデータが取れるようになっていますからね。というより、そのようなデータを取得し、精度の高い意思決定に結びつけられる企業が勝つということかもしれません。
論点から主張が生まれるまで
話を仮説に戻しましょう。仮説とは、ここまで説明した、論点と主張の中間に存在するものです。
論点と主張の間は、以下の2つに大別できます5。
- 仮説が立つまで:何もない状態から、仮説が立つまで
- 仮説が立った後:仮説を主張に出世させるか、棄却するかの判断
まずは、分かりやすい後者から見ていきましょう。
②仮説が立った後
仮説が立った後の話はシンプルです。あなたの当面のゴールは主張を明確にすることなので、仮説が立った以上、あとは「仮説を主張に出世させても問題ないか」を判断するだけです。
そして、仮説を主張に出世させるのは、妥当な根拠の存在です。
ロジカルシンキングでは、「根拠の妥当性が高いほど、その言説は正しい」という前提が成立します。そういう枠組みで考えるのがロジカルシンキングだからです。
言い換えると、仮説を支えられるだけの妥当な根拠を作る(見つける)ことができれば、「仮説」を「主張」に出世させられるのです。逆に、それができなければ仮説を棄却するしかありません。ゴミ箱行きです。スライドで確認してください。
このような、仮説の真偽を検証する作業のことを、「仮説検証」と呼びます。
仮説検証:仮説の真偽を検証する作業のこと
仮説検証とは、具体的にはリサーチのことです。以下のどれかですね。
- デスクリサーチ
- 質問調査
- インタビュー
- アンケート
- 観察
- 実験など
リサーチの詳細は、以下のエントリーを参考にしてください。
仮説は、仮説検証を経て晴れて主張に出世するか、ゴミ箱に入る(=仮説を棄却する)かのどちらかです。繰り返しになりますが、仮説が仮説のままでいることはありません。
このことは、「仮説 = ハマチ」と覚えておくとよいでしょう。ハマチも、ハマチのままでいることはできませんよね。成長してブリになるか、私たちの胃袋に入るかのどちらかです。
ロジカルシンキングにおける仮説とハマチは、「そのままではいられない」という点で同じ
この点が、一般的な意味での「仮説」との決定的な違いです。一般的な意味で「仮説」と言った場合、単に「正しさに責任を持たない」という意味止まりで、その正しさに白黒をつけるところまでは求められません。
しかし、ロジカルシンキングにおける「仮説」は、その後に仮説検証を行い、その正しさに白黒をつけることが求められるのです。
①仮説が立つまで
では、一歩前に戻りましょう。ややこしいのはこっちです。
いつ、どのように、仮説が立つのでしょう?
順に考えましょう。まず、論点が設定された時点で、あなたは論点に関するいかなる情報・経験も持っていないと仮定します。実際はこんなケースは稀ですが、ゼロベースで考えるために、こういう前提を置かせてください。
となると、何の情報もないわけですから、当てずっぽうすら不可能です。つまり、答えの候補が何もない状態、枠の左下からスタートすることになります。
そして、このスタート地点から主張に至るまでの間に、必ず仮説が立ちます。
これは逆から考えれば明らかでしょう。主張が分かるその瞬間まで、「何が自分の主張になるのか、サッパリ想像もつかない」という状況であることはありえません。必ず、主張が分かる前に「おそらく、XXという主張になるだろう」という目星がつきます。
言い換えると、どれだけ仮説を立てないように努めたとしても、主張より先に仮説が立ってしまうものです。これは避けられません6。
仮説は、主張に近づく過程で、いつかは必ず立ってしまうものである
ただ、ビジネスでも研究でも、仮説は「立ってしまう」ものではなく、明確に「立てにいく」ものです。
それも、かなり早いタイミングで仮説を立てます。下手をすると、「論点を設定する前に仮説を立てる」と言っても過言ではありません。「仮説が立つか」が、論点の解決可能性を評価する視点の1つなのです(=仮説が立たないなら解決可能性が低いので、論点にしないほうがいい)。このあたりの話は次エントリーで説明しますが、とにかく、早いタイミングで仮説が立つことには明確なメリットがあります。
このような、できるだけ早いタイミングで仮説を立てようとする態度・思考スタイルのことを、ビジネス用語で仮説思考と呼びます。
仮説思考:できるだけ早く仮説を立てようとする態度・思考スタイルのこと
ただ、仮説思考をうまく行えるか(=早いタイミングで適切な仮説を立てられるか)は「ロジカルシンキング」という枠組みの外にある、というのが私の理解です。一切のリサーチをしていないタイミングで適切な仮説を立てられるかは、着想や経験に依存する部分が大きく、理屈ではどうにもならない部分です。
また、仮説思考には明確なデメリットもあります。あらゆる論点に使うべき態度ではないし、そのあたりを理解せずに使うのは危険なので注意してください。
ということで、まだまだ先はあるのですが、長くなってきたので、一旦ここまでにしましょう。
以上、ロジカルシンキングにおける「仮説」について説明しました。次エントリーでは、以下の論点を掘り下げていきます(後日投稿予定)。
- なぜ早いタイミングで仮説を立てるべきなのか?
- 早いタイミングで仮説を立てることのデメリットは何か?
- どうしたら早いタイミングで仮説を立てられるか?
また、ロジカルシンキング関連のエントリーは以下のページにまとめてあります。こちらも参考にしてください。
Footnotes
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厳密には、「真理/真実」という言葉には「人間による正誤の判断とは無関係の、本当の状態(「正誤」ではなく「真偽」)」というニュアンスがあります。しかし、何が「真理/真実」なのかを考えようとする時点で、そこには人間の判断が介在してしまうため、人間による正誤の判断から離れて「真理/真実」を決めることは不可能です。 ↩
-
この姿勢が行くところまで行くと、「真理や真実など存在しない」という姿勢になります。 ↩
-
「意見」は、「主張」から「推測」くらいまでをすべて内包する概念だと考えてもいいかもしれません。 ↩
-
なお、世の中の実態としてはこれが「真理/科学的事実」として扱われていますが、定説は覆ることがあるため、科学者の方たちはそういう言葉を使わない印象です。 ↩
-
なお、このプロセスはロジカルシンキングのプロセスと並行します。後述するように、仮説がいつ立つか・仮説をいつ立てるべきかは一概には言えない部分があるので、ロジカルシンキングのプロセスには含めませんでした。 ↩
-
ただし、これは主張に向かって順調に前進したケースの話です。まったく前進がない場合、仮説は立ちません。 ↩